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ランナーの話:「疾風女史」前編

ずっと、自分の周りのランナーの話を書いてみたいと思っていた。

色んな生き方があるように、色んな走り方がある。自分の周りのランナー達から受けた影響、学び、そして、感動。そんな記憶を留めておきたいと思う。第一回目は、「疾風女史」。

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疾風女史の存在を知ったのは、私が走り始めて2年ほど経った頃だったと思う。

 人生初マラソンで、NYCマラソンを3時間48分24秒で完走し、ボストンクォリファイも取った自分を、先輩ランナー達が大いに褒め称えてくれ、”え、もしかして、私って、結構、才能ある?”なーんて気持ちになっていた頃だ。

正直、マラソンなんて世の中に存在するスポーツの中で、一番面白くない競技だと思っていた。なんで高い金(NYCマラソン登録料は$200を超える。)を払って、自分を苦しめないといけないのだ、とすら思っていた。だから、人生経験だと思って1度だけと出走した後、また、翌年もその翌年も走る自分になるとはさっぱり予想していなかった。だけど、”え、もしかして、私って、結構、才能ある?”という気づきなのか、勘違いが、結果的に継続に繋がった。シリアスランナーと自負しているランナー達が地道に距離を踏み、シンプルなウエアでレースに臨むのに比べ、私は最初から、素敵ウェアに拘り、音楽を聴きながら走るスタイルで、月間走行距離も非常に少なかった。それでも、結果を出す。ファンランナーを舐めんなよ、と思っていた。まぁ、端的にいえば、意気がっていたのである。

そんな時期、疾風女史の存在を知る。

私の6歳上で、年代別カテゴリーでは丁度被らない。NYRR(New York Road Runners。NYC最大のランニングレース主催者NPO団体。NYCマラソンも手がける。)のほぼ毎週開催される5000人規模の様々な距離のレースで、ほぼ毎回年代別1位。サブスリーランナー。ランナー仲間の間では、神格化される存在であった。

その頃、自分も出るレース、出るレース、年代別1ー3位を連発していた。だから、自分も彼女とそう変わらないと思いそうになっていたのだ。

だが、全然違ったのだ。

まず、同じ1位でも、全くタイムが違う。1マイルで30秒(約1キロで19秒)ぐらいも違う。私が女子の中では、速い方だと表現されるとすると、彼女は、同じ速さの男子達と混じっても速いのだ。どんなに頑張っても、ハーフマラソンで90分切りが出来ない自分に比べ、彼女は、6つ上にも関わらず、やすやすと(本人は必死かもしれないが、私にはそう感じた。)1時間25分前後で走ってしまう。

実物と会うと、その肉体の差は歴然だった。

長くて細い手足。無駄な贅肉が削ぎ落とされ、鋼の様だ。走る姿も、まさに疾風。軽やかで、それでいて力強い。

かっこいい。

彼女の走る姿を見る度に思った。そして、思い知らされた。

走る女神に祝福されているのは、私ではない。彼女だ、と。

(続く)


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