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誰にでも出来ることがある

私、遂にあの頃の明治生れと同じになったんだわ。

令和になった時の感想だ。あの頃というのは、昭和40年代生まれの自分が子供の頃という時代。多分、8歳ぐらいだった私は、祖父が明治生まれと聞き、「おじいちゃんが生まれた年だから、ものすごい昔なんだ。」と思ったし、中学生になり、歴史に興味を持った頃は、”明治は丁髷結っていた江戸時代の次の時代なんだよなぁ。”と、想像したら、とてつもなく昔、古い時代に感じたのです。

だけど、良く良く考えてみたら、昭和の2個前の時代(それも大正は15年間とかなり短い)で、そんなに昔じゃないハズなのだが、子供の自分にとっては10年前は自分が生まれてもないわけで、よもや、50年前とか、有り得ないぐらい前。大袈裟に言えば、明治は江戸時代どころか戦国時代ぐらいに近いぐらいの感覚であったように思います。

その明治の立ち位置に、遂に昭和がなったわけです。

平成になった時も、昭和が少し古臭く感じ始めましたが、まだ、それを揶揄する余裕すらありました。でも、令和にまでなった日には、自分はもう歴史側の年号に片足突っ込んでる感覚です。

さて、そんな私の思う、 #未来のためにできること  は、至極当たり前のことです。

歳を取ったら頑張らずに死ぬ

ということです。日本は世界でも長寿国と言われるようまでになりました。それだけ長生きできる環境を整えた先進国になったのです。しかし、今度は日本の医療費が逼迫しており、将来、この素晴らしい健康保険制度が崩壊すると言われています。しかし、ご存知でしょうか? 医療費の50%以上が65歳以上になってから掛かっているという事実を。

日本人の健康年齢は寿命より10年前後短いのです。自分で自分の世話が出来なくなってからの10年が医療費を圧迫しているのです。その事実に、

老人になった自分がもっと長生きしたいからと、若者に負担をかけ、未来の子供達に借金を背負わすって、なんだかなぁ、と思ったわけです。

ちなみに、私は7年前に乳がんを患い、相当な医療費を掛けてもらって生き延びています。お陰で、死ぬ死ぬ詐欺って言われる程、元気です。でもね、こんな減らず口を叩ける脳ミソでもなくなり、寝たきりで、沢山の電子機器に繋がらないと生きられない状態になった時は、もう頑張らない。私が頑張らなければ、地球のエネルギーも使わない。自分が地球に一部に還るのだ。

それが、私の

#未来のためにできること




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