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ランナーの話:「疾風女史」中編

「今の自分のベストタイムを出したいんだよね。」

疾風女史と、二人で話す機会があった。疾風女史の娘さんと私の相方が、ブロンクス・バンコートランドパーク開催の5キロクロスカントリーレースに出走し、偶々、私たちは両方応援で来ていたのだ。スタートを見送り、だだっ広い芝生の上、大きな青空の下で、立ち話を始めた。話すことは当たり前の様に、走ることばかり。

私より年齢が上の疾風女史は、走りのレベルは違うにせよ、未来の自分である。ただ、数年前から走り始めた自分は、まだ、タイムが進化中。だけど、タイムなんていつかは天井につくし、自分の年齢からしたら、それは近い将来であるだろうと予測していた。だからこそ、私は、タイムだけに縛られたくなかった。タイムが伸びなくなった時点で、走る意味がなくなるのは、なんか違うと感じていた。

だけど、疾風女史は違う。常に、タイムを狙い、タイムを求め、走っている様に見えた。だが、30代でサブスリーランナーだった彼女も、もう40代後半。いくら走る女神に祝福された肉体と才能を持っているとはいえ、流石に、タイム面での衰えは見えるはずである。それでも、尚且つ、タイムを追い続ける彼女の気持ちを知りたかった。

「今の自分のベストタイムを出したいんだよね。当たり前だけど、歳を取るにつれ、肉体は衰え、タイムも落ちていくよね。自己ベストなんて、もう、絶対出ない。でも、今の年齢の自分で、最高のタイムを出したい。それは、何歳になっても、出来ることでしょう?」

泣きたくなるぐらい素敵だと思った。

そして、そんな彼女は40代最後の年、NYCマラソンを、2時間58分2秒で走り切り、再び、サブスリーランナーに返り咲いた。 ネット記録で見る限り、17年ぶりのNYCマラソンサブスリーである。その17年間に、彼女は子供を産み、育て、そして、その子供は、母親と同じランナーに成長していた。 疾風女史は、なんて、強い人なんだ!女として、母親として、人間として、そして、ランナーとして。

疾風女史は、私の憧れだった。決して、届かない人。届くことのない人。

だが、そんな疾風女史と私、黒リスが激突する日がやってきたのだ。

(続く)

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