見出し画像

「ショートストーリー」:空の森⑤

大抵、誰にも会いたくないって時にこそ誰かに会うものだ。
(最初から読みたい方はこちらから↓)

案の定、前方から、千夏さんの姿が近づいてくる。
(千夏さんを詳しく知りたい方はこちらから↓)

千夏さんとは、去年、NYRR(ニューヨークロードランナース)主催のレースによく参加していた折、一馬さんに紹介して貰い、話すようになったラン友だ。旦那さんの九条さんもランナーで、九条さんの方が数年早く走り始めたが、あっという間に千夏さんに追い越され、今では千夏さんは、レースに出れば、年代別で常にトップ10に入るまでになっている。きっと、元々、長距離走向きな体質なのと、本人が本来、真面目な性格なのだろう。コツコツと同じことを繰り返すことが出来ないと、あのタイムは出せない。

千夏さんとすれ違う。サッと手をあげて、挨拶をする。
うまくやり過ごした。これで話さなくて済む。

と、思った数秒後、後ろから声を掛けられた。

「無数(かずなし)君、今日はゆっくりジョグなのね。一緒に走っていい?」

僕の答えを待つまでもなく、進行方向を変えた千夏さんが右横を走っている。
ああ、やっぱり、こうなるんだよなー。誰にも会いたくない時に限って会っちゃうんだ。そして、その運命からはどうやっても逃れられない。

諦めよう。
僕は自分の運命を受け入れることにした。

千夏さんから、「最近レースに出ないね。体調でも悪いの?」なんて話題を振られ、嘘をつけない性格というか、妙なこだわりに囚われている自分は、やはり、正直に自分の走りに対する考えを述べはじめ、気がつけば、自分のセクシャリティや、それに伴う社会問題、挙句の果ては、素良との関係や諍いまでペラペラを話している。なんで、こんなことまで僕は話しているんだ?

千夏さんの絶妙な相槌の上手さもあるが、相手の顔色を伺えないチャットランが、自分の気持ちや考えを正直に話してしまう大きな要因かもしれない。

「20年ぐらい生きている時代が違うのよね。」

僕の一方的な話を聴き終え、千夏さんが呟くように言った。前を向き、ジョグを続ける千夏さんのその言葉は、僕に向けての言葉なのか、それとも単なる呟きなのか分からない。でも、なんとなく、ここから話し手と聴き手が入れ替わったと感じた。

「私が無数君の歳の頃の日本は、30歳になる前には結婚できないと、行き遅れって風潮があったし、私より8歳ぐらい上、そうね、バブル世代ぐらいまでは、”クリスマスケーキ”になぞられていて、25歳までに結婚出来ないと売れ残りって言われたりしたのよ。」

「え?24歳がクリスマスイブで、25歳がクリスマスデーって意味ですか?そりゃ、ひどいな。それじゃ、僕なんて、完璧売れ残りじゃないですか。」

「ううん、それはないわ。だって、無数君が自分でどう思ってようと、その頃の社会では貴方は男性と認知されているはず。男性はその扱いじゃないの。そう扱われるのは女性だけ。」

「ますます酷い。あり得ない。最悪の時代じゃないですか。」

自分の母親が離婚したのも頷ける、なんてことが頭に過ぎった。

「最近の若い人はみんなそう言うわよね。今は、女らしい、男らしいって言葉も差別だって言われているみたいだけど、でもね、その時代にいたら、それが普通で当たり前で、その価値観の全部が全部悪かったわけじゃないと思うの。実際、私は、女らしいって言葉が好きだし、男の人にも男らしさを求めるタイプだと思う。それは本能的なもので、時代は関係ないじゃないかしら。つまり、私は昭和の時代であろうと、今の時代であろうと、きっと、九条みたいなタイプと付き合い、結婚し、九条も望めば、専業主婦になり、子供を産み、妻として、母として生きていると思うの。そんな価値観の女性自身が女性の社会進出やセクシャリティ等、多様性を阻んているって言われることもあるけど・・・、ごめんね、私ね、正直に言えば、今の若い人たちが、昭和時代の価値観を否定するのって、なんだか、”後出しジャンケン”しているようにしか思えないの。」

「後出しジャンケン・・・?」

「そう、後出しジャンケン。だって、前の価値観があったから、否定できるのよね。その時代に生きた人たちが模索しながら築いた価値観があって、それを後から見た貴方たち若い人たちがジャッジしているのよね。自分の人生だって、後から考えれば、あれは間違いだった、あーすれば良かったってこと沢山あるじゃない?でも、それは後から見たから分かる事で、その時には分からず、それが自分にとって最善だって思って行動していたりしているものよね。時代に対しても同じことが言えるんじゃないかしら。」

セントラルパーク6マイルループ最大の難関ハーレム坂に差し掛かった。
暫し、二人とも無言でせっせと登る。左手のゴツゴツと差し迫る岩の壁に沿ながら、カーブを曲がる。カーブを超えても、まだ先がある。横で、ハァハァと息を吐きながら千夏さんが走っている。


ハーレム坂

正直、僕は驚いていた。
こんなに自分の考え、意見がある人だったんだ。

千夏さんは、専業主婦だと聞いている。自分は、日系企業の駐在員の九条さんに付随してニューヨークに住む昭和生まれの彼女に対し、大した意見も持たずただ旦那さんに従って生きているおばさんと思っていたのではないだろうか? そんな彼女に、”後出しジャンケンで勝って、分かったようなことを言っている若い世代”と、指摘され、ぐうの音も出ない。自分が差別されることには敏感で、他人を差別しているのは無自覚という自分に気づいたのは、収穫ではあるが、ショックは隠せない。

「あー、頑張ったー。」
千夏さんが、ハーレム坂を登りきり、ガッツポーズをした。そして、徐に、僕の顔を覗き込んだ。

「ごめんね。なんか失礼なこと言ったかしらね。」

千夏さんは、僕の心を読めるのか?
急いで、ブンブンと首を横に振る。

「でもね、正直言うと、無数君世代が後出しジャンケンで勝ってくれて良かったなぁ、って思う事もあるの。」

千夏さんが僕をチラリと見て、話を続ける。

「その、無数君のパートナーっていうの?その、、えっと、彼女なのか彼なのか分からないけど、あ、素良さんね、その素良さんの生き方、私、良いなって思う。そんな風に生きられる時代になったのは、すごく良いと思う。特に、同じ女性の肉体を持つ者として、誇らしい気持ちもあるかな。」

「え、でも、千夏さんは、そんな生き方とは違う、男が女を守るというか、生活の面倒を見るというか、そんな関係の方が良い派なんですよね?」

僕の疑問に、千夏さんは感慨深そうな表情を見せた。

「そうね、もし、ランニングに出会ってなかったら、素良さんみたいな女性、ごめんね、でも、多分、前の私なら女性って決めつけていたと思うから、女性って言葉を使うね、その素良さんみたいな女性、理解できないというか、嫌いだったと思う。何、カッコつけてんの?甘えられるなら、甘えて良いじゃない。その分、自分が女性として、返せることをしたら良いじゃないって感じでね。きっと、自分の生き方を否定されたみたいに感じるんだと思う。でもね、私、走るようになって気づいたことがあるの。主人とは、高校時代からの付き合いでね、その頃は私の方が勉強も出来て、水泳でインターハイまで行ったし、まぁ、私、結構、優秀だったのよ。だから、彼に授業のノートも貸してあげたり、受験勉強も手伝ってあげたりしていたの。でも、私は地元の推薦で入れる短大を選び、彼は一か八かで受けた早稲田に受かって、そこから彼は一流企業と言われる会社に入り、私は地元の銀行に就職し・・・。24歳の誕生日に、彼からプロポーズされた時、内心、ホッとしたわ。多分、東京の女に彼を取られるんじゃないかとか、ずっと心配していたのね。今、思えば、そのあたりから、私と彼の関係は形勢逆転していて、気づいた頃には、彼の方が全て優っていて、自分は彼に敵うことは何一つないって思うようになっていたみたいなの。そして、それが当たり前なことで、その関係が幸せなんだって思うぐらいでもあったの。
でもね、彼に唆されて、走り始めたら、自分でもびっくりするぐらい走れて、最初、彼を追い越すのは悪いかな、とか、私たち夫婦の関係が悪くなるんじゃないかとか心配したけど、違ったの。『お前、すごいな。』って、言われたの。彼からそんな言葉言われたの、高校以来だって気づいたら、涙が出てきたわ。」

千夏さんの声が掠れる。もしかしたら、その時を思い出し、涙ぐんでいるのかもしれない。

「私ね、素良さんの言葉を借りれば、自分で羽をたたんでいたんだと思う。ランニングに出会わなければ、自分が羽を持っていた事すら忘れていたと思う。自分の羽で飛ぶって、疲れるし、苦しいけど、やっぱり気持ちが良い。そして、何より、自分の力で飛んでいるってだけで、自分に誇りを持てるのね。だから、素良さんの気持ち、良く理解出来るし、応援するわ。」

素良の味方がひとり増えた。
でも、僕が一番の味方であるべきだ。
アパートに帰って、素良に言おう。

「僕は君の選択を尊重するよ。」と。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?