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「ショートストーリー」:空の森①

無数が何やら安堵した様な顔で自分の部屋に戻っていったので、私は、テーブルの上に置いてあるiPhoneを取ろうと左手を伸ばした。
(無数君の話が気になる方はこちらから↓)

その拍子に、右手にあった猫じゃらしがひばりに奪われた。美空ひばりに似たこの猫は8歳という、そろそろシニア猫に差し掛かったはずだが、非常ににすばしっこい。数週間前にアダプトした時は、”あたしゃ、人生に何の期待もしてませんよ。”といった風に、ケージの中で口をへの字にして身動きひとつせず、どっしりと構えていたというのに、今では、子猫に負けない甘えん坊で活発な猫になってしまった。”なってしまった。”という言い方は、まるで、残念そうな響きがあるが、それは違う。単に、驚きのあまり呆れているというニュアンスである。

無数の部屋から、微かに音楽が聴こえる。リラックス系の音。きっと、またヨガでもやっているのだろう。

無数と私は、アセクシャル(他人に恋愛感情を抱かないセクシャリティ)という共通部分があるけど、私は他人に性的欲求は抱くアロマンティックというセクシャリティだ。簡単に言えば、私は他人にムラムラすることがある、というわけ。でも、そこに恋愛感情はなく、単に、性欲の発散を出来れば良い。つまり、自分の背中がムズムズ痒くなる時があって、それを孫の手で掻くか、他人に掻いてもらって、「あー、気持ちいい。そこ、そこ。」って、一瞬の快楽を感じて、ムズムズを収めるのと何ら変わりがない。でも、

背中を掻いてもらった相手に一々、恋愛感情なんて抱かないでしょう?

って、説明しても、理解してもらえず、そーゆー関係になった女性から、ヒステリーになられたことは何度もある。あ、私は、背中が掻ければいいんで、相手の性別にこだわりがない。バイセクシャルと世間では呼ぶのかもしれないが、ちょっと違う様にも思う。なぜなら、バイセクシャルは、自分が、女性か男性かの認識があると思うんだ。だけど、私はそれすらもあやふやだ。
だから、僕は、、、おっと、ほらね、急に僕は僕という気持ちになるのさ。私の時は、女性的な気持ちが強く、僕の時は男性的な気持ちが強い。でも、どっちも自分であることに変わりがない。

ただ、肉体は女性なので、それはそれで別に違和感も感じていないから、そのままだ。昔、手塚治の漫画に”リボンの騎士”というのがあったけど、あの主人公のサファイヤは、天使の悪戯で男女両方の心を持って生まれた設定でしょう?僕は、あの漫画を知った時、自分みたいだな、と思ったよ。僕は生まれつき、男女両方の心を持っている。それだけのことさ。

あ、ちょっと話が脱線したけど、こんな僕だからか、僕は自分で言うのもなんだが、図太い。世の中に正解などない、と最初から分かっているからかもしれない。

それに比べ、ルームメイトの無数は非常に繊細だ。本人、アロマンティック・アセクシャル(他者に恋愛感情も性的感情も抱かない)という認識がなかった頃は、”自分がおかしいのでは?”と随分悩んだタイプだろう。肉体は男性だから、自然に起こる性欲処理とかどうしてるんだろう?とか、余計なお世話な疑問も湧くが、まぁ、奴は、きっと走ることが、Better than SEXというものなのかもしれないな。

え?一緒に住んでいて、無数に対して、ムラムラしないかって?

確かに、無数は見た目は悪くない。線の細い少年っぽさは、多くの人を十分惹きつけるだろう。
でも、僕にはさっぱりだ。
無数がシャワーの後、上半身裸でウロウロしていても、ドキドキもしない。
ひばりが僕に生まれたままの姿でまとわりついてきてもムラムラしないのと一緒。ひばりが僕を性的対象と見ていないのが分かる様に、無数の中にそんな感覚がゼロなのが分かる。そんな相手に僕のムラムラスイッチは入らない。

でも、僕は無数を誰よりも大切に思っている。愛していると言ってもいいかもしれない。でも、その愛は、ひばりを愛する気持ちと同じ種類だと思う。

きっと、この僕の感覚を無数なら理解してくれる。
他の誰も理解してくれなくとも。



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