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「小説」セントラルパークランナーズ(45歳・女性)

あら、4時間切っちゃった。

夫に、”運試しに申し込んでみたら”と唆され、半分冗談で申し込んだNYCマラソンの抽選。幸か不幸か当たってしまい、4月から初マラソン挑戦・完走を目指して、それなりに練習してきた。でも、まさか、本当に初マラソンで4時間を切れるなんて思っていなかったから、ちょっとびっくりした。

でも、私よりずっとびっくりというか驚愕したのは、夫の方だ。夫は走り始めて3年目にサブフォー(マラソン4時間切り)を達成し、それをいたく自慢していた。専業主婦で夫から世間知らずと言われる私なので、サブフォー達成ってものすごい大変なことなんだと思っていた。

その私が、半年の練習で、初マラソンを3時間58分で完走しちゃった。

さぞかし練習を頑張ったんだろうと思われるかもしれないが、どうだろう?

もちろん、最初、走り始めた頃は、1マイル走るのも息が切れたし、そもそも、ただゆっくり走るって、面白くもなんともなくて、なんでNYCマラソンなんて申し込んじゃったんだろう、と後悔した。だけど、続けていくうちに、段々と走れるようになっていき、中年太りになってきた腰回りも目に見えてスッキリしてきて、それがある意味モチベーションとなり、続けられた。

「まぁ、練習メニューは作ってやったけどさ、そのうちの半分でもこなせたら良いんじゃないか。こう言っちゃなんだけど、千夏にマラソン完走は無理だと思うしさ。やれるところまでやれば良いよ。」

自分で唆しておいて、実際、当選したら、”無理だ。”と決めつけた夫の発言に、内心ムッとした。でも、何となく言い返せず、でも、その分、”絶対、完走してやる。”と闘志が湧いた。

「え、あのメニュー通り、やってんの?よく続くなぁ。あのメニュー、結構、キツいと思うよ。初心者がサブフォーを目指す為のメニューだし。」

走り始めて2ヶ月ほど経った頃に夫が意外そうな顔で言った。

確かに余裕でこなしているわけじゃない。走りたくない日もある。でもね、毎日毎日365日、掃除洗濯家事全般をこなし、その上、今でこそ子供達も成人したけど、そこまで育てた(それもほぼワンオペで!)身としては、正直、ただ1日1時間程度走ることは、さほど苦ではなかった。誰に褒められることも、認められることもない家事や子育てという作業をひたすらこなし続けてきた自分は、単調作業を続ける忍耐力が自然と身についたのだろう。それこそ、義務も責任もない、ただ自分で走るだけの作業。愛犬ミッキーの散歩を1日3回やってあげないといけないプレッシャーより、ずっと気持ちの上で負担が少ない。

NYCマラソン当日、走っている間は、もちろん、楽しさより、苦しいなぁ、辛いなぁ、と感じる時間の方が多かったかもしれない。でもね、正直、2度の出産に比べたら、死ぬーって叫ぶほどでもない。それに自分のペースで、ゆっくりでも前に進めば良いんだし。

「じゃぁ、それほど頑張らなくてもゴール出来たんだね?」、と聞かれると、「うーん、頑張るのは普通じゃない?流石に頑張らないと無理でしょう。」って感じだ。


夫が操り人形みたいな動きで、会社に出社した後、改めて、昨日貰ったメダルを手に取って眺めてみた。林檎の形にNYCの街並みが彫られている。指でそっとなぞりながら、沿道からの途切れることのない声援を思い出す。

ああ、あんな風に、自分が応援されることなんて、いつぐらいぶりだろう?中体連ぶり?いや、昨日の応援はその時以上だった。頑張っている自分を応援されるって、やっぱり嬉しいものだわ。

そう言えば、最近、こんなに自分の為だけに頑張った事、あったかな?子供の頃はそれが当たり前だったのに。いつの頃からか、私の頑張る時間は、私だけのものじゃなくなった気がする。会社勤めをしていた数年は会社の為、結婚してからは家族の為。でも、昨日は全部、私の為だけに頑張った時間だった。いや、違う。この半年間の走っていた時間は全部、私だけの時間だった。

そっか、走るって、走る時間って、私だけのものなんだ。

昨日、ゴールした時には実感がなかった感動というものが急に私の心に押し寄せてきた。涙がじんわり溢れてくる。

私、よくやった。千夏、よく頑張った。NYCマラソン完走、おめでとう。

自分を目一杯褒めて、朝食の食器を片付け始めた。






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