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エッセイ:ぜんぶ

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愛犬の話、ニューヨークの話、ランニングの話などなど、その時々の気になったことをつらづらと書いています。
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2021年5月の記事一覧

乳がん患者が、ナイスバディになりたいと思ったっていいじゃないか。

乳がんを患って、しんどいと思うことの一つは、女性らしさが失われることだ。 胸を切り取られる、抗がん剤でハゲになる、そして、ホルモン治療で、女性ホルモンを止められる。 当たり前だが、女性ホルモンを止められると、生えてきた髪はパサパサ、お肌も潤いがなくなり、何だか鏡を見るのが嫌になってくる。その上、太りやすくもなったりする。つまり、無理矢理、閉経させるから、更年期障害の症状になるし、加齢の加速度も半端ない。 がん患者だから仕方ないよね。それにどっちにしても、中年だし。誰も、

ランナーの話:「ジミー」後編

2018年1月6日、ジミー、初トレイルレースに参加。マイナス14度の深い雪が残る森の中を4時間程度走り、その魅力を知る。 それまで、ボストン資格を取る為、踏み入れなかったウルトラやトレイルの世界。だが、流石のジミーも、少し、ロードマラソンだけに集中するのに疲れたのかもしれない。そこで、気分転換程度に参加したトレイルが、実は、走りのターニングポイントだったのではないかと推測する。 なぜなら、初トレイルレースの2ヶ月後開催のNYCハーフマラソンを、なんと90分切りで完走。ビッ

ランナーの話:「ジミー」中編

ところで、ジミーはサイクリストでもある。 いや、元々、サイクリストで、その後、ランナーになったタイプの様だ。だから、良く、「ラン力アップに、バイクがいいよ。クロストレーニングが効果あるよ。」と言われているが、ジミーは通常運転が、クロストレーニングタイプであった。 つまり、それは、ジミーのラン力アップに、バイクは新たなトレーニングにはならないという意味でもある。その上、ジミーは、本来の性格から、コツコツコツコツと地味に練習をするのが大得意で、そのレベルは、疲労骨折をして目標

ランナーの話:「ジミー」前編

「僕って、そんなにスペック悪くないと思うんですが、なんか地味なんですよね。印象に残らないっていうか。」 確か、2014年か、2015年かのNYCマラソンの打ち上げで、ジミーは、自分のことをそんな風に語っていた。 なるほど、ジミーは、東北の一流国立大学出身で、名の知れた企業に勤め、顔立ちも決してブサイクではなく、体型も細マッチョで、マラソンもサブ3.5で、スペック的に全然、悪くない。だが、本人が自覚している通り、彼という存在は、雑踏に紛れたらさっぱり分からなくなりそうだし、

ランナーの話:「道産子丸」後編

40代になっていた道産子丸にとって、妊娠は予想外だった。もちろん、最愛の人との子供が授かることが嬉しくないはずはない。ラン友が沢山集まるウェディングパーティも、それはそれは夢の様に美しかった。 何も文句はない、 はずだ。だけど、複雑な気持ちはあっただろうと想像できる。 2017年2月のロッキーラクーン100マイルレースを、22時間で完走し、女子7位となり、これからもっと上位を目指せると思っていたはずだ。 40代に入り、自分の体力の衰えを感じる前に、ベストな走りを極めた

ランナーの話:「道産子丸」中編

2011年という年が、道産子丸にとって、ランナーとしてのターイングポイントであったのは間違いない。東北大震災をきっかけに、Run for Japanを立ち上げ、今まで知らなかったランナー達と出会い、刺激を受け合い、そして、ランナーとして互いに成長していった。 それにしても、道産子丸の成長は著しく、持ち前の負けず嫌いで頑張り屋の性格から、あっという間にボストンマラソンランナーになった。ロードマラソンだけじゃなく、ウルトラマラソンやトレイルランにも次々に挑戦していった。また、自

ランナーの話:「道産子丸」前編

彼女に最初に逢ったのは、2011年3月20日(日)、場所はニューヨーク・セントラルパーク72丁目の入り口前。その日、彼女は、東北大震災のチャリティーコミュニティ「 Run for Japan」の代表として、ベンチの上に仁王立ちで、人々に語りかけていた。 ご存知の通り(いや、知らない人もいるかも)、私の実家は宮城県石巻市。2011年3月11日、東北大震災の地震と津波被害で、実家は被災。被災者家族でランナーの私は、「Run for Japan」という響きに吸い寄せられるように、