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受験はゴールではありません。

中学受験は、決して親のステータスでもありません。

最近、都立の中高一貫校を受験させたいという父母が増えているように思います。
私立中学受験においても、一部に父母のステータスを感じてきましたが、それ以上に痛感する日々です。

何のために受験を希望するんでしょうか?
わが子が、一般的に難関校と言われている中学を受験するということが、父母の優越感を満たし、またその事が安心に繋がっているのではないでしょうか?

こんな間違った安心があるでしょうか?
数年で確実に砕ける事が分かり切っている安心が・・・?

それどころか、本来であれば、サッカーをしたり、遊んだりして過ごす大事な時間を、塾に通わされ、どうしてそうなるのか?などという発想は切り離され、一方的な暗記・訓練型の受験勉強を強いられ、点数主義の中、どんどん子どもたちはだめにされているというのが現状だと思います。

都立の中高一貫校の入試問題は、私立と違っていて、特別な学習をしなくても受験できるという魅力があり、また合格した場合、学費が安いということで、気軽に受験という選択をされているのだとは思うのですが・・・。

この受験勉強を、熱心にやらなかった生徒ほど中学・高校に進んで伸びていく要素が大きいと思うぐらいです。
一生懸命に頑張れば頑張るほど、だめになっているのです。
子どもたちは、年齢とともに成長し、そして考える力や工夫する力が育っていくものです。

その大事な過程で、じっくり考えたり、悩んだり、間違った過程を自分で検証する時間をすべて切り取って、ただ過去問を中心に合格だけを目標にして、おとなの満足(父母は安心を、教師側は報酬を)のために犠牲になってしまうと言っても過言ではないと思います。

逆に合格した場合はどうでしょうか?
周りから、莫大なご褒美と優等生という評価を得て、中学に入り、とんでもないカリキュラムの難しさや進度の速さに、半分以上の生徒が脱落してしまう現状を理解できていいるでしょうか?

中1の夏休みには、中2内容に、中3で高校1年から2年の範囲に進んでいます。(実際にたくさんの中高一貫校の生徒を見てきた経験から)
これに加えて、15歳でみんなが体験しなければならない受験を経験できないということも、大きなマイナスなのです。
父母は、受験がない方が楽だと思いがちですが・・・

この受験がないために、本来、辛いながらも高校受験という壁を乗り越えるという貴重な体験ができず、またその勉強も中途半端になってしまいがちなのです。
そして、高校で、付属の中学からの生徒と高校から受験して入った生徒が同じクラスになるのです。
大学に入って、就職して社会に入って・・・
どこの中学を卒業したかではないのです。どこの大学を卒業したかでもありません。

自分で考えて、自分で工夫して、周りの状況を判断できる人が、最後に「安心」という何かに一番近づける社会ではないでしょうか?
途中で、失敗して、苦労して・・・
だからこそ、自分で乗り越えるという力が身につくのではないでしょうか?
受験はゴールではありません。
まして親のステータスでは決してないのです。
スタートの1つなのです。
そして、そのスタートを間違えると、ゴールは見えなくなってしまうのではないでしょうか?

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