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【読書メモ】サル化する世界(内田樹)【#82】

内田さんの本はしばらく読んでませんでしたが、本屋で見かけて衝動買いしました。やっぱり面白いです。

「まえがき」から内田節が炸裂というか、当たり前のことなんですが、切り口が絶妙で心地よいです。毎回、手前までは辿り着いていたけど、その先にそういう考え方もあるのね・・・って気づかせてくれます。僕も研究者で武道家なので、通じるものがあるのかもしれません。

それは今の日本社会が、「成熟する」ということが、「複雑化」することだということを認めていないからだと思います。逆に、成熟することとは「定型に収まって、それ以上変化しなくなること」だと思って、そう教えている。
でも、そんなわけがないじゃないですか。

なんだかよくわからないまえがき

今の日本の流動性(柔軟性?)の無さや、 寛容さの無い人たちというのは、この複雑化できない人々を大量に産み出していることが原因のように思います。単純であることは、楽ですけどつまらないと感じます。

ホントはもっと書きたいのですが、直接読んだ方が絶対面白いので、2か所だけ印象に残ったところを紹介します。

第1章の「サル化する世界」という項目で「朝三暮四」の話が出てきます。 昔この話を聞いた時には「朝に三粒、夕にに四粒」で猿が激怒し、「朝に四粒、夕に三粒」で猿たちが大喜びしたということから、サルは単純なので今すぐ四粒欲しいのだと考えていました。今すぐ欲しいというような「欲」を戒めている話だと解釈して、止まっていました。

内田さんは、「このサルたちは、未来の自分が抱え込むことになる損失やリスクは「他人ごと」だと思っている。」という時間意識の話から、「「朝三暮四」は自己同一性を未来に延長することに困難を感じる時間意識の未成熟(「今さえよければ、それでいい」)のことであるが、「自分さえよければ、他人のことはどうでもいい」というのは自己同一性の空間的な縮減のことである。」というように、時間から空間へ展開して、現在の寛容さのなさや、差別的な発言の多さについて言及していて、目から鱗でした。

第3章の「比較敗戦論のために」では、「敗戦の否定」いわゆる戦争の記憶の改ざんが、当座の心の安らぎは手に入れられるものの、いずれ必ず後でしっぺ返しがくるというところが印象に残りました。この発言は、武田砂鉄さんの解説にもつながります。書き出しはこんな感じです。

うまくいっていないことを認められない国だなと思う。
「うまくいっていないので、どうしましょうかね」から始めればいいのに、「は?うまくいってるよ!うまくいってないなんて言うんじゃねえよ!」とうるさい。そのうち、「うまくいってないですよね」という申し出が「国を愛していない」「反政府的」などと変換されて、「文句を言っているだけの人」にもなる。どんな時だって、疑問視することは目の前にある物事を改善させるために必要なのだが、とにかく何も言ってくるなよと権力者やその周辺が見張っている。

解説

テレビを見ていても、会社で働いていても、とにかく権力者は検証されることを嫌がります。僕が働いている会社も、内田さんが書いているような、バリバリの市場主義者が経営してくれていると良いのですが、残念ながら仕事はできない、当座の批判は受けたくないから検証はされたくない、とにかく自分が役員の座にいる間に倒産しなければそれでいい、という人が偶然集まってしまっています。なので、この本と見比べながら、興味深く観察しています。武田さんが言うように、経営方針に批判的な僕が常に見張られているのも、その通り!と思いながら読んでいました。

その他にも、英語教育や貧困解決、50代男性のための結婚論など、そんな視点で見るのも面白いな!そんな見方はしてなかった!と、知的な刺激がたくさん得られます。

おわり


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