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最近読んだ本について~個別最適な学びと協働的な学びを中心に~(その1)

 長期休業は、教師にとっては休みが取れるのと同時に、まとまった時間に読みたい本が読める時間だと思っている。
 本を読むときには毎回、何かしらテーマがあるけど、今回は「個別最適な学びと協働的な学び」が大きな問題意識としてあった。結構いろいろ読んで、思い返してみるとあんまり覚えていないことに気づき、感想を書くことで少しでも記憶の定着図りたい。

 まずはこれ。

 海外の教育書の翻訳したものを読むのは、参考になる点もありつつ、現実の教室にすぐに持ち込めないことも多い。だから、長期の休みに読んで自分の実践を相対化するくらいがちょうどいいと思っている。
 さて、邦題は「学びの責任は誰にあるのか」という疑問形になっていて、その答えは「子ども」でも「教師」でもない。より正確にいうのなら、究極的には「子ども」に責任を移行するけれど、それは1時間の授業の中でも変化しうるし、1単元だったり1か月だったり、1年だったりする。この考え方が結構大事だと思う。
 「個別最適」なのか「協働的」なのか、という「二者択一」ではなく、「どっちも」という精神。どうも日本人のメンタリティとして「一本化」とか「その道を究める」みたいなのが美徳とされている感じを受けるけど、「どっちも」とか「いいとこどり」をどんどんしていった方がいいと思う。

 ちょっと話がそれたけど、「どっちも」大事にするのは何のためかというのもちゃんと触れられていた。それは、「個人の学びが深まる」かどうかが重要であるということ。そうなってくると、じゃあ「個人の学び」が成立するのはどういうときか?という問題が自分の中に立ち上がってきた。それなら、ということで書棚から一冊取り出してきたのがこれ。

 まだ自分が学生だった時に、大学に佐伯先生が講演に来るっていうことで、予習用に買った本。ときどき思い出したように読み返している一冊。問題の「学び」が成立する条件を探して読んでいったら、いくつか引っかかるものがあった。

  1. 何をどう学ぶかは私が決める。「おもしろい」とか「必要」と思うから学ぶ。そう思えるのは、社会の中で、何かしらの役割を果たしているから。

  2. 学んだ知識の正しさは、自分自身の納得を経由する。

  3. 社会や文化の中での知識は、常に変化の途上にある。だから、私たちの学びも常に「これでいいのか」という根源的な問い直し過程をふくんでいる。

 1つめは、今でいうところの「キャリア教育」の視点であるといえる。Twitter界隈ではボロクソ言われているキャリアパスポートやらキャリア教育やらは、学びを成立させるためには欠かせないピースだと再確認。社会的な役割(キャリア)を果たすために学ぶ必要のある知識や技能は一人一人異なるのは当たり前と言えば当たり前ではある。
 2つ目と3つ目は自分の中では連動していて、「そういうことか」という納得と「本当にこれでいいのか」という問い直しを繰り返す「状態」が学んでいるということだととらえられる。
 人としての成長や社会の発展みたいなものを直線的に捉えているこれまでの学習者像を改めて、「問うべき問い」に気付かせること、より深く、広く徹底して「問い続けていく」ためのきっかけを与えることが、教師の役割なのではないかと思うようになった。(そのためには教師自身も問い続けることができなければならない)
 自分の疑問(学びを成立させるもの)の結論としては、「一人一人の子どもたちの頭の中にどのような問いかけが発せられるか」が勝負であるといえる。

 ちなみにこの本には「独学」という今の「個別最適な学び」とほぼ符合する概念が説明されている。(独学の条件として「学習目標の自由選択」「学習手段の自由選択」「学習目標の妥当性」「学習手段の有効性」が挙げられていて、これはだいたい個別最適な学びでも言われていること)衝撃的だったのは、この本に載っている論文の初出がだいたい1970年代だったこと。50年も前に、今に生きる指摘がすでにされていたことには驚きを禁じ得ない。

 「佐伯先生すげー」となったところで、自分のキャリアがはっきりしていない小学生の子どもたちは、何のために学ぶのかが疑問になった。(ちなみに佐伯先生は「知識を身に付けることの目的は『ものごとを決して一面的に見ない』ということにあるかもしれない」「一見こう見えることも、実は別の見方からすると全く異なって見える」「こういうことを私たちは何度も経験し、そのたびに一つずつ『かしこく』なってきた」という)
 そこで、積読になっていたこの本を手に取った。

 途中で「そんなの絶対的な一つの答えなんてない」という実に哲学っぽい答えが示されるが、次の指摘はとても参考になると思った。

  • 「何のために勉強するのか?」よりも「自分はどういう時に勉強をする必要性を感じるのか?」と問う方が大事。

 これって要は佐伯先生の1つめのところに関わってくるんだけど、「自分にとって学びたくなるのはどういうときか」という「自分」について振り返り、知っておくための指導をする必要があると感じた。ところで、私自身については、どういうときに勉強をする必要を感じるのだろうか。私の場合、それはやっぱり誰かの役に立つときじゃないかと思う。そう考えてみると、「個別最適な学び」と「協働的な学び」は不可分であるということがわかってきた。
 となると、やっぱりいかに「協働的な学び」「対話的な学び」を仕組んでいくかが重要になる。「話を聞ける子」を育てるにはどうすべきか…?

 もう冬休み終わっちゃうけど、時間があればまた続きを書きたい。

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