私の20歳までの話

私の毎日は特筆すべきこともなく平和です。
こんな穏やかな日々を過ごせるようになるなんて小さいころは思ってもみませんでした。

私は生まれつき口唇口蓋裂という病気で、0歳から20歳まで入院手術をしたり、歯の矯正に通ったりと落ち着かない日々を過ごしていました。
小さいころは何で入院しなければいけないのか、手術が必要なのか全然わかっていませんでした。

自分が口唇口蓋裂という病気だったと知ったのはずいぶん大きくなってからでした。
ブラックジャックを読んでいるとそんな話が出てきて、もしかしてこれ?と自分で気づきました。

父方の祖父に「病気持ちの孫はいらん」と言われた母は私を抱えて電車に飛び込もうと思ったこともあったそうです。
このエピソードも大人になってから聞きました。

小学校にあがると夏休みや冬休みに病院に入院することが多くなり、勉強が遅れることはなかったように思います。
時々、学校が始まるころに入院期間が被っていて、クラスのみんなから「手術頑張ってね」なんて書いてある寄せ書きが届いたりしました。

私自身は病院に入院しているときもその生活を楽しんでいたと思います。
違う学校の知らない子と仲良くなり、夜中に肝試しと称し病院の中を探検して、次の日看護師さんに怒られたりもしました。
小児病棟にいるときは小さい子から大きい子まで様々な年齢の子と話す機会があり、いろいろな病気やケガで入院していて、それぞれにいろいろな人生があるんだなぁ、と思っていました。
退院が伸びて6人部屋に1人きりになることがあり、寂しくて泣いていた記憶があります。

入院していると暇な時間というものがもちろんあります。
本を読んでも勉強しても時間が余ります。
お小遣いを少しもらっていたので、売店に行って自分の好きなものを買って食べるという楽しみをそこで覚えたような気がします。

高校生くらいから大人の病棟に入院することになりました。
周りは自分と同じくらいからおばあちゃんまでこれまた様々な年齢層の方がいました。
おばちゃんたちはいつも優しく、果物を切ってくれたり、話を聞いてくれたり、入院していても楽しい時間が過ごせました。

大人の病棟では時々、亡くなってしまう人がいたのも事実です。
夜中に看護師さんが走り回る音、あわただしい雰囲気で何となくわかってしまうようになりました。
生と死の境目が常に目の前にあるような場所でした。

覚えている限りで、一度だけ大きな手術をすることになり、その手術の直後、自分の姿を上から見たことがありました。
たぶん幽体離脱というやつでしょうか。
それだけ危なかったということかもしれません。

人間って嫌な思い出って案外覚えていないようですね。
ここまで書いておいて手術後の痛みってどんなだったかな?となかなか思い出せません。
私は切って縫ってのような手術を受けているので今でもその時の傷が残ってます。
頭蓋骨の一部がへこんでいますが、確かそこから骨を取ってどこかにつなげたみたいなことを聞いた覚えがあります。
鼻筋に微妙な傷がありますが、そこにはネジが埋まっているはず…。

そういえば、これはもう時効だと思うのでここに書いてしまいますが、いわゆる医療ミスをされたこともありました。
鼻の奥から腐ったような臭いがするときがあって、耳鼻科で診てもらったら手術のときに使ったであろうガーゼが残っていました。
その後母が手術した先生に話したようですが、その先生の反応がどうだったかはわかりません。

いろいろなことがありましたが、私のメンタルが強くなったのは20歳までの入院手術経験のおかげだと思っています。
他の人には経験できないことをたくさん経験してきたおかげで、今の自分があるんだと思います。
母は綺麗な顔に産んであげられなかったと、うしろめたさもあったようですが、私が元気でいることで救われたと話していました。
ちゃんと手術を受けさせてくれて、ここまで私を育ててくれた両親には本当に感謝しています。

今、確かに言えるのは入院手術は嫌ではなかったということです。
いろいろな人のおかげで自分が生きていけるんだとこの経験で勉強できました。
貴重な経験ができて、私自身大きく成長できたと思っています。







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