なりたい自分は障害者じゃない

 タイトルの通り自分を障害者と位置付けても幸せになれるとは思わない。それについて書いていくね。
そもそも、「なりたい自分」なんて理想像を目指すように指導される経験は就労移行支援施設といった障害者福祉に通うとみっちりと味わえる。
アンガーマネジメント、コンディショニング、アサーション等のカタカナを雨のように止まず向き合わされる。
たぶん間違っているのは私の生意気な主張だとわかっている。福祉側の意見を無視して「やれるんじゃないか」という仕事、つまり一発逆転のロマンを求めて世間の障害者のレッテルと全力で対峙し負けたから。
それでも福祉側の当事者に自己否定を迫るといった「説教」が正解だとも思わない。金銭を対価として得る労働において「発達障害」を提示する行為も納得できない。「それは売り物にしていいのか?よくないだろ?」と内側でずっと思っている。
この両方の立場から今の自分は「できそうな仕事」を見切り「できる判断した仕事」に取り組むと決めた。だってエゴがなければ生きていけない。
そんな自責と他責を騒ぎ立てるのはTwitter。特に数日前には都知事選があった。タイムラインはとても良いものではなかった。
候補者をアスペとみなし無邪気にはしゃいだ人々は最低、でも羨ましくもあるよ。事実。
結局、このタイトル通りに生きたほうがいいと思う。周りのイメージに合わせて生きると障害者は悲惨なことになる気がしてならない。


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