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長崎原爆資料館訪問記(初めて知ったことと感じたこと)

 2024年の1月に長崎へ行ってきました。十数年前に仕事の出張で行って以来、2回目の長崎訪問でした。
 
 広島の原爆資料館には若い頃に行ったのですが、長崎の原爆資料館には行けず仕舞いのまま歳を重ねていました。そして、長崎新幹線に乗りたいなと思いつつようやく長崎へ旅行で行き、原爆資料館を訪れることができました。

 長崎駅前から路面電車に乗って約10分程度で原爆資料館に着きます(+徒歩約5分)。資料館に入り、一つ一つの展示物、写真、説明書きを丁寧に見て回っていました。すると、ある説明書きの内容を読んでいていて、「そんなことがあったのか!」と少し驚きました。その内容を紹介します。

 8月9日の原爆投下第一目標は北九州の小倉でした。戦時の主要な攻撃目標は、製鉄所や造船所等の兵器製造関連の工場地帯であり、製鉄所のある小倉が目標地点になったと思います。当日の朝、小倉の天気は曇りでした。また、「原爆投下位置は目視確認」という命令が出されていました。レーダーによる位置確認も可能だったようですが精度の問題で目視確認という命令だったようです。小倉の上空は雲で覆われて目視確認ができないため、原爆を搭載していた飛行機はしばらく上空を旋回し雲の移動を待っていたようです。しかし、雲に覆われた状況は変わらず第二目標へ移動することになりました。

 第二目標は長崎でした。長崎も小倉同様に雲に覆われていました。しかし、11時2分、わずかに雲の切れ間ができ三菱のグランドから製作所(工場)の中間点の場所が目視確認できました。そして、そこに原爆が投下されてしまいました。

 日常において旅行・出張の予定や農業、漁業、交通機関等がその日の天気の影響を受け、時には大きな予定変更や損害、災害等に見舞われることもあります。天気が人の運命に影響するということもあるでしょう。しかし、長崎の原爆はそれらとは比較にならないほど大きな影響を与えてしまったのかと驚きを感じました。

 もちろん、それ以前にもっと早く終戦にしていれば、そもそも戦争を始めなければ、とも思います。天気のせいにせず人の判断、行動で防ぐことは可能だったかもしれません。

 今回の話は重い内容なので投稿するか否か迷いました。しかし、平和が貴重になりつつある昨今、世界から争いが無くなることを祈念しつつ、長崎原爆資料館で知ったこと、感じたことを紹介させて頂きました。

付)広島の被爆樹木
広島には幹の曲がった樹があるそうで、被爆中心地の方へ曲がっているそうです。放射線を浴びた被爆中心地側の幹はダメージを受け成長が遅くなり、反対側の幹は普通に成長することにより幹が曲がったようです。被爆後も生き延び、原爆の影響を私たちに教えてくれる被爆樹が愛おしくなりました。一度見に行きたいと思っています。

余談)世界平和
YouTubeでたまたまYOASOBIのアジアツアーの動画を見ました。国境を超えた素晴らしい一体感を感じました。世界各国の多くの政治家よりもYOASOBIのような人たちの方がよほど世界平和に貢献しているのかもしれないなと感じました。

以上