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一年半の孤独で得た悟り

いじられキャラの小中学校時代

筆者の小中学校時代はいわゆる、いじられキャラでした。
幼いころ気が弱くおどおどした、
どちらかというとにぶい性格でした。

小学生にあがると、自分なりのペースで友達を作っていたと
思うのですが、それと同時に忘れ物や勉強ができないところが
目立ち徐々に友達から下にみられていたのを覚えています。
それが悔しくてよく喧嘩したり、泣きながら帰ったりもしました。

小学生高学年になると、喧嘩は減りましたがそれをいいいことに
いじれるようになり、いじられキャラになったのです。

しかしそれもエスカレートし、トイレに行っている間には鉛筆が
すべておられていたり
、図工でつかっていた絵具を全部勝手に捨てられたり
なんてこともありました。
あと、上履きにがびょうが刺さっていたりとか。
パンツまでみんなの前で脱がされるのは日常茶飯事でした。

中学に上がっても、いじられキャラからのエスカレートという流れは
変わりませんでした。

変わったとすれば、筆者のいじめられた時の対応能力だと思います。
少しのいじめならその場のノリで面白しろおかしくして、
場の空気を自ら変えていました。

なので、結構友達とも遊んだりみんなからは好かれていました。

とはいっても、いじめのレベルがエスカレートしていくなかで
それに対応しきれなくなり、
中学校3年生の後半は学校に行けていませんでした。

いじめから救ってくれた一冊の本

そんな筆者を救ってくれた本がライトノベルの
やはり俺の青春ラブコメは間違っている、通称俺ガイルです。

まさかのライトノベルに驚きも隠せない人もいるでしょう。
このライトノベルには、孤独から学ぶこともたくさんあるという
ことを認識しました。

自ら孤独になることで、いじめられる要因である環境を
解消し、いじめを受けない状況にすることを決断、
実行に写すことで孤独の一年半のスタートを切りました。

当時の筆者には孤独になることで、いじめの問題解決でなく
問題解消を行うことしかできなかった
のでしょう。

一年半の孤独で得た悟り

孤独になってからは、よく人間観察をしていました。
人と会話することがほぼなかったため、
会話を盗み聞きをしては自分ならどう答えるかをひたすら考え、
思考を巡らせていました。

そんなことばかりしていくうちに、
自分を含めほとんどの人間は自分の都合の良い意見を言い
その意見や考えが脅かされる時は感情的になったり
自分を守ろうとする言動や行動をしていることに気付きました。

ただこれは筆者自身にも当てはることだと強く感じ、
それと同時に孤独になることが自分を知るきっかけになると感じたのです。

孤独は確かに辛いことではあります。
しかし、そこから学ぶことはとても価値のあることばかりでした。

人と一緒にいることで培われる愛と同じように
自分への愛を自然と育むこともできたのです。

そのおかげで人と関わることを諦めていた筆者ですが、
もう一度人と関わりたいと思いよりよい人間関係をつくることが
できるようにまでなりました。

孤独はマイナスなイメージがありますが、
それよりも孤独で得られることの方がよっぽどプラスなんだということを、
多くの方が少しでも気づいてくれたら幸いです。




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