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eスポーツはスポーツなのか。是。

スポーツの定義とは非常に曖昧であり、eスポーツというものがスポーツか否かという議題に関しては星の数ほど議論がなされてきた。

今日私がその不毛な議論に終止符を打とうと思う。

とは言っても、別に私はスポーツの専門家でもなければ、高名な学者でもない、この春高校を卒業したばかりの一般人だ。

一般人だからこそ、思うところがあり、感じるものがある。

世の中の大人たちは何をそんなにうんうん唸っているのか?

ただの一般人である私には理解しがたい。


プロフィール

勝手な考えを世に発信するのだから、批判的な意見もあるだろう。

私は勝手な考えを世に発信する覚悟を持たねばならないと思う。そこで私がどういう人間なのか予め記しておく。

名前:永田 大和

年齢:18歳

高校在学中に設立したマルチプロゲーミングチームFiveness Esportsの代表を務めたのちに顧問に就任。

株式会社CYLOOKの経営幹部としてマルチプロゲーミングチームREJECTのマーケティングや経営戦略を担当。

ゲーマーのネガティブイメージを払拭するための一つの手段として、アパレルブランドWASDを設立。

個人で多数の法人と業務委託契約を結びeスポーツの普及に従事。

フィジカルスポーツはサッカーを4年、野球を1年、水泳を5年、バスケットボールを1年してきた。

そして予め断っておくが、これは全て個人の見解であり、私が所属する組織とは全く関係ない。


1,eスポーツはスポーツなのか。是。


自分の応援する競技者が、汗を滝のようにかきながら必死に走っている様子に、あるいはたった一つのボールを十数人で奪い合い、蹴り合い、投げ合う様子に、心を奪われる人は多いだろう。

私もその一人だ、競技者の行動によって全く予想していなかった光景を目の当たりにする、気付くと拳を握り、口を結び、その光景に食い入るように魅入ってしまう。

勝敗が決したときには喜びもすれば、膝から崩れ落ちて、当事者のごとく涙を流すこともある。

それはフィジカルスポーツだろうがeスポーツであろうが関係ないのだ。

スポーツとは、唯一使用可能な全人類の共通言語のようなものだと私は思う。

言葉が通じずとも、共に同じ目標に向かって協力したり、お互い譲れないものの為にしのぎを削る。

その中で、言葉で交流するよりも、より本能的に、直感的に相手のことが理解できる。

それがスポーツの持つ素晴らしさだろう。

なればこそ、定義がどうだの、身体を動かさないからどうだのと言ってる場合ではないと思うのは私だけなのか。

そろそろ分かってもいいと思う。

しかして社会は「依存の危険性」と言う、では貴方は一日中、一心不乱に壁にボールを蹴り続け、日常生活においてそのことしか考えられない少年に対し、「君は壁あて依存症だね」と言えるだろうか。少なくとも私は言えない。

他にも「視力が」と社会は言う、では貴女はチームメンバーの想いを乗せ、一投一投に魂を込めてボールを投げ続けた挙句、肩や肘を壊した青年に対し、「自業自得だろう」と言えるだろうか。私は口が裂けても言えない。

飽きずに社会は「暴力的だ」と言う、だが私は思うのだ、人を殴殺すると何故ゲームが悪者になるのか、人を刺殺すると何故ゲームが悪者になるのか、人を轢殺すると何故ゲームが悪者になるのか。

未だに理解しがたい。何故その犯人から飛躍して他のものに難癖をつける?例えばそれが違法薬物に起因するものだったとしよう、それは違法薬物に難癖をつけるべきだ、何故なら人が正しい倫理観を持っていれば必然的に分かる「悪」だからだ。

前述の理論で進めるのならば、ゲームは悪ではないと私は考える。

人に愛され、育まれ、楽しまれる文化であり、決して犯罪を助長するものではない。

確かに暴力的コンテンツはある、しかし、その根幹にあるのは楽しんでほしいという切実な制作者の想いなのだ。人の想いなのだ。

その人の想いを踏みにじることは到底できない。

我々は一つの芸術としてその作品の持つ意味に真摯に向かい合う必要がある。

私たちは何が違うのか、ただ打ち込むものが違うだけで、何故私たちはこれ程までに社会から排他的に扱われるのか。

競技者として、自らの目標に向かって努力しているだけなのに。

スポーツとは唯一の人類共通言語のはずだ、なぜその輪に私たちを迎え入れてくれないのか。

私は常に、その現実に対して非常に悲しい気持ちなる。

惰性でゲームをプレイする人間もいるだろう、一人のスポーツマン、eスポーツプレイヤーとして夢を見て、日々技術の研鑽に励む者もいるだろう。

eスポーツがもっと社会に受け入れられれば、夢を目指す競技者が増えていくと、私はそう思う。


2,eスポーツはスポーツの可能性を引き上げる


大前提として、スポーツ(フィジカルスポーツとeスポーツ)には欠点がある。

それはそうだろう、この世に天衣無縫のようなものは存在しないのだ、何事にも「縫い目」は存在し、その「縫い目」は誰かにとって非常に邪魔なものになる。

ではスポーツにおける「縫い目」とはなんだろう、それはどうあがいても埋められぬ差が存在することだ。

オリンピックとパラリンピックがあるということがそれを如実に物語っている。

もちろん、たゆまぬ努力でその差を埋めた人物もいるだろう、だがそんなことができる人間が世界に一体何人いるのだろうか。

せっかくの全人類共通言語なのに、限られた人物にのみ適応されるというのはあまりも残酷だ。

勘違いしないでほしいが、私は別にフィジカルスポーツに対して否定的な意見を持っているわけではない。

それを踏まえた上で読み進めてほしい。

オリンピックとパラリンピックに関して前述したが、eスポーツは「その差」を限りなく埋められると思う。

eスポーツとは、身体的なハンデを極力抑えられるスポーツの一つだと、私はそう思うのだ。

私はこれまで多くのイベントを主催したり、手伝ったり、参加してきたが、そこには必ずと言っていいほど親子の笑顔が溢れていたし、悔し涙をこらえる姿もあった。

そして、障がいを持つ子の姿もあった。

私の妹だ。

妹は本当に楽しそうに、普通の子らと変わらぬ笑顔で、変わらぬルールで、ゲームを楽しんでいた。

身体を使う遊びはやはり苦手で、年下にいつも負けてしまい、いつも不貞腐れている妹が、本当に楽しそうにしていた。

泣きそうになった。

私がやってきたことが無駄ではないと思えた一つの瞬間だった。

私はその瞬間に、障がいを持つ子たち向けのeスポーツイベントを企画したが、例のウイルスに邪魔されそれは叶わなかった。

しかし、情勢が落ち着いた暁には必ずそのイベントをするつもりだ。

私は子どもたちに、妹と同じ笑顔をeスポーツで与えたいと思ってしまったのだから。


eスポーツはスポーツの可能性を底上げすると思っている。

eスポーツが身体的なハンデを極力抑えられるスポーツの一つということは前述したとおりだ。

もちろん完璧にではない、「極力」だ。

天衣無縫なものは存在しないのだから。完璧なんて求めるほうが愚かだろう。だがしかし、完璧を追い求める努力は怠ってはいけない。

そして、eスポーツがスポーツの可能性を底上げすると思っている要素は他にもある。

オンラインで楽しめるということだ。

元々オンラインで、どこにいても、誰とでもできるかつ、顔や名前を晒さなくてもいいという、良い意味での匿名性がeスポーツの魅力であった。

これからの5G台頭により、更にオンライン環境が改善され、より多くの人がeスポーツに触れ合う機会が増えるだろう。

社会がeスポーツをスポーツと認め、もっと受け入れることができればスポーツを更に盛り上げ、スポーツの魅力を更に底上げすることができるだろう。

きっとそれは、多くの人が平等に同じものに夢中になれる素晴らしい社会になるとおもう。

言語や国境、宗教や思想、人種に縛られず、等しいフィールドでインターネットがなければ、eスポーツが無ければ繋がるはずの無かった人と繋がれる、こんなにもワクワクしてドキドキするものは他にあるだろうか。

少なくとも私が知りうる中ではeスポーツがダントツでワクワクする。


3,eスポーツは来るもの拒まず去るもの追わず


私は学生時代2年の引きこもりを経験した、その中において家族以外で社会と繋がれる唯一の窓口はゲームだった。

直接顔を合わせる必要は無いのに、相手は自分と同じものが好きだという安心感から気軽に人と話すことができるからだ。

好きな装備や、ボスの攻略法、強いプレイヤーの話など、毎日プレイしていても話題が絶えることはまず無かった。

顔も本名も知らないその人が、いつの間にか自分の心の支えになっていたのだ、学校生活等で疲弊していた心にはインターネットを通して聞こえるその声に、本当に救われた。

昨今、引きこもりが社会問題になっている。

社会はそれを「ゲームのせいだ」と言う。確かにゲームに依存してしまい、引きこもってしまう人もいるだろう。

ただ、これだけは知ってほしい、心も身体も疲弊した人が縋れる唯一のものがゲームやeスポーツである可能性もある。

社会に絶望し、社会に見切りを付けた人間の、唯一社会と繋がれるツールである可能性があるのだ。

フィジカルスポーツを通じて社会復帰する人も多くいる、それと同じように、ゲームやeスポーツというものは社会からあぶれてしまった人間の、最後の防波堤になりうる。

そして、社会復帰のきっかけにもなるのだ。

私はゲームで知り合いかれこれ5年程付き合いが続いている友人たちがいるが、今でも自分たちの近況を報告し合ったり、よくグループ通話をしたりする。

因みに、一度も会ったことはない。それでも5年間ずっと連絡を取り続けている。

自分自身何故会ったこともない人間にここまで心を許し、関係が続いているのか不思議でならない。

だが、この不思議な関係性がとても心地いい。

その不思議な友人たちは順当に進学した者、職場の人間関係に悩む者、引きこもりから大学進学を真剣に志し、勉学に打ち込む者。様々な人生を歩んでいる。

物理的な距離に依存しないというのは、本当に素晴らしいものだと思う。

理解しろと言って、理解できる人は少ないだろう。

それに私に理解しろだなんていう権利はない。

ただ、理解する努力はしてほしいと思う。

私たちは心からゲームを、eスポーツを愛し、そしてそれらをとても尊いものだと考えている。

どうか私たちの価値観を拒絶しないしないでほしい。

一度考えてみてほしい。

私は、eスポーツはスポーツだと、声を大にして叫び続ける。









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