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内側に閉じ込めておけない衝動と生きる欠乏感の狭間にて。

ただ脈絡もなく文字で殴りたい時がある。
あるいは、無性にピアノを弾きたくなったり、ただあてもなくどこまでも走りたい衝動に駆られるなど。

実は最近常にそういう衝動に駆られている。
誕生日(太陽のリターン)が近いから衝動的になっているせいもあるし、単純に月と他の惑星がタイミングよく何かを形成しているからかもしれない。

占星術ついでに言うとわたしの出生ホロスコープは結構壊滅的で、怒りが内側にこもりやすく、いきなり周りを巻き込んで火山大噴火を起こすことがある。幼い頃はそうだったが、占星術を勉強してからは適度に怒りを発散させる術を覚えた。

それが冒頭のそれである。
わたしのブログでは度々書かれているのだが、わたしがクリエイティブな何かをしようとする時に、型にはめたり評価されたりするのを極度に嫌う。だって別に採点してほしいわけじゃないし、他に認められたいわけでもない。そういった相対性的価値はどうでもいい。

わたしがだいじに思うのは、自分の中身を外へ出すことだけ。本当に自分の内側にマグマがあるんじゃないかとすら思う。エネルギーが強すぎて体が耐えられなくて病気になったり、気持ちや怒りが抑えられないのではないかと極端に考えることもあった。いずれにしろ湧き上がってくるものを抑えつけることを止めた。

その得体の知れないマグマが湧き上がってくるときに、ピアノを弾いたり絵を描いた。ダンスも踊った。最近では筆を執ることにしている。面白い変化としては、最近ボディメイクにハマっているせいなのか、このままどこまでも走って行けるのではと思うようになった。何十年も生きてきてこれはなかった。

わたしの場合は、自分の内側を外側に出せればツールはなんでもいい。デメリットとしてはそれをやり始めると別の世界に「箒に乗って飛んで」しまって、気付くと時間が経っている。時間という概念が崩壊していることだ。

そしてわたしはアウトプット量がものすごく多いと思われがちなのだが(記事数が多いせい?)、はっきり言ってインプット量はその何倍もあると思う。常に何かしら読んでいる。それは魔術書とかではなく、ミステリー小説や恋愛小説やビジネス書のような、ジャンル問わず文字に触れている。あとは「音楽」から感じ取ってしまう情報量が多いので基本的に無音空間で過ごすのだが、何か流してしまうと頭がパンパンになるくらいインプットされる。(旋律は霊的世界のものだと思える。会話も音に聞こえる)だから記憶力にも自信がない。

要するにわたしの中のマグマは、無意識的に溜め込んでしまっている情報量ということになる。わたしはいつもこれを「新陳代謝」しないと壊れることを知っているから、こうして書き物や体を動かす。
そこにわたしを認めてほしいとか、わたしは有名になりたいとか、そういった思いを含んでいなかったのだ。

前置きが長くなったのだがここからが本題のような気もする。

つい昨日のことだ。その衝動に駆られた時にどこまでも走ってボロボロになりたいと思ったのだ。現実的に、この猛暑に、汗かいてボロボロになったら即死なので実行してはいない。しかしそれを思った時に、ある考えがふと起こった。「わたし、今、足掻いてないな」って。

何年か前に死ぬ寸前な病気が見つかった時。
「ああ、わたし死ぬ前にこれだけはやっておきたいな」というものに対して必死に命を使ったことがある。本当に言葉通り「使命」…命を使ったのだ。なぜかあの時は、すべての景色がキラキラして美しかった。「必死になると生きている実感が持てた」…これも言葉通りかもしれない。必死に足掻いて生きるのが辛くて、でも逆に楽しかったのだ。

今は完治しているから、安穏と生活している。植物を育てて料理をして、こうして書き物をする。ゲームや読書もする。平和な生活だ。なにも悩みも不安もないのだが、物足りなさを感じる…これはペンタクル9の逆位置のようだ。

正直言えばスリルの方が好きだけど、それにしてもわたしはもう少し、身近にある小さな幸せをだいじにしなければと思う。そもそもマグマはわたしが生きるためのエネルギーであって、水星の諸力が情報を入れてくれる。わたしがその水星の情報をどのように外側に出していくのか、今は問われている気すらする。あの頃、必死に命を使ったからこそ、平和が平和だと思え、それが当たり前だと勘違いすることもなくいることができる。

一度、命をどのように使うのかを考えてほしいと思う。明日死ぬのではなく、「1年先に死んだら」を考えてみてほしい。
わたしの場合は、手術で傷がつくかも?と思ったので、綺麗なうちにヌード写真小説を作った(Amazonで販売しているけど恥ずかしいのであまり宣伝していない笑)。これも他人から見るとどうでもいいことだけど、わたしがその時思ったのは、「わたしが死んでも作ったものは残るし思い出は消えない」ということだった。

わたしはそれから日銭のための仕事をするのをやめた。日銭は日銭しか生まないからだ。
「わたしが死んだ時に何が残るだろうか」を常に考えている。例えば生徒や弟子に魔術や占いを教えることは、私の知識を残すことになる。一般参加可能なzoomのセミナーだってそうだ。
ブログやYouTubeは内側のシステム面のためにやっている仕事だが、わたしはこれも残り続けるものだから賛同している。
最近では調合レシピや料理レシピをまとめている。

いつ死ぬかわからない。けど、こうして残しておくことはとても大事だと思った。モノはあっちに持っていけないけど、知識なら代々受け継ぐことができるでしょ。

あれ…遺書みたいになっているけどまだ死なないですよ(笑)
とりあえず毎日ボクシング40分やって健康維持に励んでいる。あの頃のヌードより、歳をとった今の方が身体に自信あるってどういうこと(笑)。

サポートして頂けたら、魔術研究の支援に使わせて頂きます。皆様により良い情報とデータを開示することで生き生きとした魔女活・魔術ライフになるよう願っています。