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オカルティズムに懐疑的な人に対してこれっぽっちも何とも思わなかった思考回路の謎

10月に行われた、《哲学者の薔薇園》さんとのコラボ配信「ハロウィンの心霊召喚譚」を、編集のため見返すことがあった。
その中で由良瓏砂さんが、

「よくオカルティズムは敬遠される」とコメントされている。
オカルトは怪しいと思われがちとか、懐疑的なイメージがあるから、というニュアンスだと思う。

たぶんわたしはその配信の時は、「あっ、そう捉える人もいるのか」という程度だった。
その時の受け答えに対して、なぜわたしはそんな軽いのか、まるで今知った現状のように語る自分を不思議に思う。
本当に不思議すぎて、悩んでしまって、かれこれ1週間になる。

もちろん、オカルティズムに懐疑的で敬遠されることはあると思う。
これはオカルトに関わる方々がお思いのことだとは思うが、呪いとか怪しいとかの悪いイメージが先行しているからだろう。
魔術と聞けば、黒魔術だし。
人形呪術と言えば、丑の刻参り。

割合そう思う人がいたとして、識者は何も言わないし、聞かれなければ別段講釈も披露しない。
わたしもそうする。

わたしは、黒猫魔術店は、たくさんの魔術やオカルトの記事や動画を、撒き餌のように撒く。
それは、検索されれば必ず上位に来るようにちょっとした技術を要しながら。

だから知りたくて、知りたくて、キーワードで検索すれば必ず書いてある。
その情報を取捨選択するのは相手が決めることだ。わたしが、わたしの意見を押し付けるものではあるまい。

むしろ、知識とはそういうものではないか。
隠されたもの、オカルトは、そのように出会うものではないか。

ところが、そうは思っているものの現実は少し違う。
実はわたしの周囲の人々はきちんと何がニセモンで、何がホンモノで、魔女やタロットがどんなもんか知っているのだ。

その中のつわものは、毎回のわたしのタロットリーディングを耳にタコが住み着くほど聞いており(それほどタロット占いを頼まれるということだが)、展開した時点でなんとなく意味がわかるらしい。

あるつわものは、仕事もチャンスも人間関係もある程度魔術し終わって、もう願いないなという境地に達した時に、サクラマス釣りのために引き寄せの魔術をし始めた。それも、ちゃんとした、魔術を!(サクラマス釣りは難しいらしい)

あるつわものは、新しい恋人ができるたび初夜の液体と陰毛を保存しておき、いざという時の人形呪術に備えている。これは相手に万一の病魔や社畜魔などの厄事があった時、身代わりとして恐ろしく有効なのだそう。(別れても保存してあることに愛を感じる)

なにが言いたいかというと、わたしの周囲がつわもの揃いで、類は友を呼ぶというべきなのか、変な案件が一切ないし、逆にふわふわ人は敷居を跨げないのかもしれない。

しかし当然、そのような人ばかりではない。
たまにお客さんから連れてこられた借りてきた隣の猫のような友人が、ちょっと懐疑的な目で見てくることがある。
なんとなく、わたしたちもその気配がわかる。

質問されればもちろんロジカルに答える。ふわふわなスピリチュアルとは違うと、オカルトに興味ある人ならここでわかるのだろうが、おそらく興味ない人は、オカルトもふわふわも同じグループなのだ。
オカルトが呪いだと思っている人は、ふわふわよりも悪いものだと思っているかもしれない。

別にここで優劣を説きたいわけではない。ただはっきり言っておくと、わたしはふわふわスピリチュアルは嫌いで、オカルトが大好きだ。
興味ない人に理解してもらおうと思ってないし、好きなものや嫌いなものを押し付けるつもりもない。

ただ、わたしの性格上「相容れない相手からは離れる」ことを生きていくルールとして決めている。
相容れない相手は時間の無駄だし、話してもノイズになるからだ。

だからわたしは一人きりになることが多い。魔術書を読みたいし、オカルトについて考えたいし、ケルトやカバラを研究したい。これは一人の方がらくなのだ。

みんなそれぞれやりたいことがあって、自由で、法律に触れない限りは何をやってもいいのに、なぜ誰かに制限されたり、無理だと言われたり、賛同を得る必要があるのだろう。

わたしは黄色に見えるのに、先生は灰色だと言う。
これは美術で絵を描いた時、冬の空気の色についての話だが、風の精霊がいたんだろうね、黄色はどうしてダメなのか。

大好きなベートーベンも楽譜通りに弾けないし、突然転んだり、腕や足が痛いと大騒ぎするし。速く走りたいとか、水に溶けて落ちたいとか、雨を全て避けてみたいとか。
やりたいことを追求することは、誰も止めることはできない。

もちろん、オカルトが呪いだとか、黒魔術だとか、そういう無知な人には正しい知識を教えたい。広めたいから魔術店をやり始めた。

しかし結果的にそうならなかったとしても。わたしは多くの賛同を得たいわけでもないし、承認欲求がまったくないことに最近気づいた。思考が明石家さんまと同じらしい。

つまり、したいからする。やりたいからやる。むしろこれはわたしの使命!わたしがやることが重要で、やったことに対して他の人がどう思うかとか評価は考えてなかった!そうか!そう思うのか!

という具合の思考回路だとわかった次第です。

やりたいことができるという環境。
いのち、神殿。愛する人。ありがとう。

サポートして頂けたら、魔術研究の支援に使わせて頂きます。皆様により良い情報とデータを開示することで生き生きとした魔女活・魔術ライフになるよう願っています。