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選択の重要性

僕は24歳にして生きるための選択を幾度か経験してきた。


その中でもっとも大切なことは?といった問いに対してわずかだが答えが出た気がする。



今日はその答えについて僕なりの持論を話していきたいと思う。



24歳が生きるか死ぬかについて考える機会はそうないと思うし、そもそも死と隣り合わせの経験なんてほんの一握りの人だけだろう。



そういった人たちが下した選択の重みは僕自身の経験からも相当な覚悟を決めていたんだと痛いほどわかる。


僕は多くの選択をしてきた。


どこのクラブチームで野球をやるのか。どこの高校に行くのか。どこの大学に行くのか。どこで治療をするのか。どんな治療をするのか。


細かく分ければもっと沢山の選択をしてきた。


その中でも人生に大きな影響を与えてくれた選択を上にあげた。少し掘り下げていこうと思う。




僕の最初の大きな選択は中学生になった時にどこで野球やるか?という選択だ。


学校の部活動、軟式クラブチーム、硬式クラブチームと幾つもの選択肢があった。


僕の性格上、強いチームで勝負してみたい。そして、知り合いの少ないチームでやってみたい。そういう力試しをして自分を成長させてみたいという理由から中学硬式野球チームを選択した。


僕はこのチームに入って初めて野球をやるのが苦しいと思った。最初の数ヶ月、どれだけバットを振っても打てない。どれだけバッティングセンターで打っていっても打てない。


4月から9月の連休前までの練習試合での打率は悲惨なものだった。100打席以上あってヒットは10本にも満たなかった。つまり僕の打率は1割もなかったのだ。


クラブチームに入って力を試したいと意気込んでおきながら、全く歯が立たない。おそらく同じ学年の中で最下位か下から数番目だった。



練習試合が怖い、そう思うようになっていた。打てない自分が嫌だった。それでもそこで諦めるにはまだ早い。そう自分を奮い立たせ、素振り、羽打ち、バッティングセンターと色々と継続した。


すると9月の連休から突然打てるようになり、試合に出るのが楽しくなり、1試合目から出られるようになった。


僕はこの打てるようになる前に、中学の部活動に移るという選択もできたが、それをしなかった。その選択をした時は正解かどうかわからなかったが、今思えば自分の進みたい方向へ選択していた。


うん、まあ高校の選択も野球に関係しているし今度時間ができたらお話しようと思う。



全てをお話するには書きたいことが多すぎるから、タイトルにもあるように「選択の重要性」を実感したエピソードを含めて僕が思う大切なことについてに戻ってお話していこう。





僕は生きるために





一番最初の手術(横行結腸切除)を受ける選択をした。この時、手術で切除できる可能性はかなり低いと言われていた。上手く切れなければストーマを作って手術終了。切除できてもストーマを作る可能性は9割だった。



それでも生きることを諦めないために手術を受けることを決めた。ストーマになるであろうことも覚悟した。



20代でストーマで生きていくのは精神的にきつい。もちろんやむなくそうなってしまった方もいる。でもやっぱり僕は普通でいたい。普通って何?ってなるけど。



手術は上手くいった。9割ではなくて残りの1割の手術結果だった。



先生のおかげだったと思っている。でもその背景に僕の選択する意思があったのも確かだ。患者である僕が闘う選択をしたこと、そして先生を信頼するという選択をしたこと、これら全てが結果に繋がったとも思っている。





僕は生き続けるために





抗がん剤を投与することを選択した。ドラマの世界では吐き気と闘うシーンがよく映し出されていたから相当きついのかなと思っていた。だけど、そんな予想をはるかに超えて想像を絶するような辛い治療が始まった。



吐くことの辛さ、便秘の辛さ、足の指先の感覚の違和感。こんな辛い治療の先に何があるのだろうか?そんな思いに駆られることもあった。



母親に「死にたい」と強くいったこともあった。




「治療をやめて楽になりたい」



と言ったこともあった。



それでも僕は生き続けるという選択をした。だから何度も何度も何度も立ち上がった。抗がん剤のたびにボコボコにされるんだけどね笑



そうやって生き続ける選択をしたことで家族が支えてくれた。どう接したらいいのだろうとかめちゃくちゃ考えてくれただろうし、それをすごく感じた。僕が生きやすい環境を作ってくれた。



肝転移が増大したのが2019年の12月ごろ。CTをとって抗がん剤で抑え切れないかもしれないから早くとってしまおうってことになった。



お、また手術か、どんとこいって。そんな気楽な感覚で聞いていたら結構大変な手術だってことを知った。



肝臓は命に関わる大事な臓器だってこと。肝不全になったらよくないってこと。そんなことを聞かされて正直びびっていた。しかも血管が複雑に入り混じっている臓器だってこともはじめて知った。



どうするんだって思ったけど、やっぱり生き続けたい。その思いが強かったから手術を受けることを選択した。




再度生き続けるために




肝転移切除の手術を受けた。時間はかかったが出血も少なく上手くいった。よっしゃ。こっから明るい未来が待ってるじゃん。



ちょっとまった。そう僕の中の悪い奴らが声をあげたかのように再度選択を迫る出来事が起きた。僕の体の中で異変が起きていた。



手術を受けたばかりなのにリンパ節に大きな4〜5センチくらいの腫瘍が見つかったのだ。退院をしてさあ、こっからだと思って診察に向かったのに。



僕の頭の中はぐるぐるぐるぐる。



ん?手術したのに何でまたおるの?おかしいじゃん。


もうだめなのか?治すことを諦めて延命していくしかないの?そしたら後何年、いや後何ヶ月?いや後何日?生きていられるの?



でもその場で抗がん剤治療を再開することを決めた。

そうすればきっとよくなる。そう思ったから。


でも現実はそう甘くなく、2ヶ月後には7センチくらいまでに成長していた。うそだ、嘘だ、嘘だ!そう叫びたかった。その叫びたい気持ちをこらえた。それを抑えるのと同時に僕の頭の中は真っ白になった。冷や汗をかいた。死が近づいている。倒れそうになるのを必死にこらえて泣くのをこらえてただただ必死に椅子に座っていた。




あの時の僕はがんになって初めての絶望を味わっていた。その日のケモ室で看護師さんの前で心の内を話して、思いっきり泣いた。看護師さんも一緒に。




でも24歳の僕がそんなに簡単に、いや簡単ではないか。諦めるわけがないだろう。1週間後には立ち直っていた。



そして手術を受ける選択をした。




治す可能性を捨てないために




先生が手術をするか迷うような大きなリスクのある手術を受ける選択をした。手術ができるギリギリのサイズだったからこそかなり迷った。



再度いろんな情報を集めた上で自分が納得する選択をした。その選択を下すまでに少し時間がかかったけど、納得のいく決定を下すことができた。




3回目の手術のリスクは、

腹膜播種があったら手術はそこで終了であること、

1回目の手術をした横行結腸に近い部分を通ってリンパを取りに行くので、繋いだ大腸の近くの血管を傷つけると腐ってしまいストーマになること、

腎臓摘出になる可能性が高いということ。



様々なリスクがあり切除しにいくのが正解か先生もかなり戸惑っていた。


だけど、やらないほうが僕の体のリスクになるということも僕自身わかっていた。抗がん剤だけでどうにかできるサイズでないことがわかっていたからだ。



つまり、手術を受けないということは延命治療であることを自らが受け入れて、後は時が来るまで待つ生活になるということだ。



選択は自分でしかできない。人に任せてることはできない。だから3回目の手術の選択は僕の人生の中で一番大きな選択だった。そしてこれからもこの選択が僕の人生に良い影響を与え続けてくれるだろう。



色々ぐちゃぐちゃと書いてきたけど、結局何が言いたかったかって?




人は何度も人生の選択をしなければいけない。




納得のいく選択をできていますか?




再度自分の胸に手を当てて考えてみてほしい。




自分がきちんと考えて情報を集めて、自分の意思で納得することこそ



選択をする上で大切なことなのではないか。



そしてその選択には大切な人やものへの気持ちが強く関係している。



選択とは究極、生きることなのかなとも思った。

















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