制作の日記④

投稿しようと思って忘れてた下書き放出①


3月29日。所属する劇団の定期公演が終わった。キャストが決まったのが12月。私が制作として、当初予定していた演目から派遣される形で任命されたのが1月はじめ。期間にしてわずか3ヶ月程度の時間であったが密度の高いものであった。
今回はその3ヶ月を締めくくる公演当日と、そのエピローグであるここ数日について記しておこうと思う。
本公演の会場は小金井市にある小劇場であった。小劇場とはいえ、客席は60席ほど用意できるのだからちょうど良い規模感である。
28日。この日はゲネ日であった。午前中は照明や舞台、客席の設営を行なった。別演目の照明も担当していたので、灯体の設置に参加したが、ここでは知識不足ゆえの無力さを感じることとなった。
午後になりゲネ前最後の舞台稽古が始まる。制作が稽古中においてできることがあまりないという話はすでに過去の記事で記しているが、このゲネ日以降においてはそれがさらに顕著になる。演出家は自身のイメージを舞台上に描き出し、最後の調整を行う。役者は実際の舞台に立ち、動きと空間をすり合わせる。照明と音響は組み立てたプランを舞台装置に落とし込み、調整を行う。制作は、ただ見守るしかない。精緻な調整が行われ、仕上げられていくその空間にはいよいよ制作の入る隙がなくなる。
しかしそこに幸か不幸か、大道具という隙間があった。舞台にアウトプットすることで生まれた大道具プランと空間のミスマッチを解消する必要があったのだ。これ幸いと、私は大道具の担当とともに大道具プランの修正に取り掛かった。

少し打ち合わせをしたのち、必要なものを買うべく、大道具担当の彼女とともに買い出しに出た。ここで私は、買い出しという口実のもと、その裏では自身の手持ち無沙汰さを解消する狙いがあったことを告白しておく。
買い出しの途中、

最後に「制作の日記」では、これまで制作として感じたことを綴ってきた。それも本稿をもって一区切りとなる。
この日記を書き始めたのには大きく分けて三つの理由があった。一つ目は、いわゆる日記と同じ、記録、特に感情の記録としての目的である。二つ目は演劇において制作という役割が一体何をなしえるのかということを、人々に少しでも知らしめようという、経験録の蓄積としての目的である。そして三つ目が、制作という役割に特有の「非創作的」な性質によって蓄積する表現欲求の発散という目的である。
振り返ってみれば、これらの目的は少なからず実現できたのではないかと思う。

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