性自認を考える

ユれるわたしのアイデンティティ3

自らの性自認について考えると
いつも堂々巡りになったり、自己矛盾に陥ったりするので
いちど整理して考えてみようというのがこのnoteの趣旨である。
予め断っておくと、恥ずかしながら先人の性に関する思考の歴史についてまったくといっていいほど詳しくない。
フーコーさんという有名な哲学者が、性について言及していたことくらいは見聞きしたが、その内容までは知らない。
それ以外の学者さんがいかなる思考・分析を行ってきたのかは、これから勉強することにして、今はわたしの頭の中を整理することに重きをおきたい。

まず、わたしの戸籍上の性別は男性であるがわたしはそれを気に入っていない。
それどころか、不満に近い感情をもっている。
思い返せば、物心ついたころにはすでに自分が男であることにコンプレックスを感じていた。
具体的なエピソードは省略するが、とにかく「男」であることが嫌だった。

ただ、その気持ちは概ね一貫しているのだが、その程度は非常に不安定である。
(男性であることがすごく嫌で今この瞬間にでも生まれ変わってしまいと本気で念じるときもあれば、自分の言動のなかから男性的なところを探してきてムッとする程度の時もある。)

そこで、自問してみる。
わたしは女なのだろうか?

わたしはこの問いに「是」と即答できない。
なぜ答えられないかについて、わたしはいくつかの説をもっている。
・「本当は心身ともに男性だから」説
→生物学的に男性であるということは、ホルモンのはたらきは男性のそれだろうしこの違和感は「思い違い」で本当は単純に男性である、という説
・「21年にわたる男性としてのキャリアの弊害」説
→幼少期からスポーツをやってきたこともあり、付き合う友達は男の子ばかりだった。学校でもそれ以外でも(不本意ながら)男性として暮らしてきたために、男性としての振る舞いや思考方法が染みついてしまった説
・「本質的にはどちらの性にも属していない」説
→男女のいずれにも属さない性だから、自分の性別を理解するのが根本的に不可能な説

このうちのどれが正解なのかは分からないし、
そもそも全部ちがうかもしれない。
だけど、いまのところ最後の説がもっとも有力な気はしている。
いわゆる「一般的」な男女の定ギとは違う次元のところにいるのだろうな、と思うとすごく楽に思える。
いまの性自認はそんなところなんだけど
これはなんてカテゴリに入るんだろう?
Xジェンダー…でいいのかしら。
と思っている。

ところがしかし、厄介な問題がある。
それについては、明日書くことにする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?