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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)18

第2章 凍てついた湖(2)

1(承前)

「乱暴な車だな」
 新部長に選ばれた二年生の堀田秀樹が、眉間にしわを寄せながら呟いた。以前はおとなしく、あまり目立たない存在だったが、部長という役職に就いてからは、先輩としての自覚もでてきたのか、ずいぶんとしっかり者になったようだ。
「こんな山道をどこへ行くんだろう?」
 そう口に出し、部長はスポーツ刈りの頭から流れ落ちる汗を拭った。モデルのような彫りの深い顔立ちをしており、もとから外見はかっこいい。最近は内面にも磨きがかかって、下級生たちから絶大な人気を誇っている。どうして急にもて始めたのかと、一番戸惑っているのはたぶん本人だろう。
「きっと、櫻澤の家に行くんだと思いますよ」
 部長の問いに、亮太が答える。
「櫻澤? 誰だ、それ?」
「美神湖の名物親父です。櫻澤英二郎、またの名を《美神湖の変人》」
「ヤだ! ここって変質者が出るのお?」
 亜弥が叫び、「お前は黙ってろ」とその口を幹成がふさいだ。亜弥は、手足をばたばたと動かしてもがき始める。
「ちょっと、苦しいじゃない!」
 やっとのことで幹成の手を引き剥がした彼女は、真っ赤な顔で怒鳴った。
「あたしを殺す気?」
「大袈裟だな。鼻で息ができるだろう?」
「風邪ひいて、つまってるんだもん」
「おい。馬鹿のくせして、風邪なんかひくなよ」
「馬鹿でも可愛ければ、風邪をひくんですう」
 いいコンビだ。私と亮太は顔を見合わせ、おたがいに肩をすくめた。
「で、なんなの? その《美神湖の変人》っていうのは?」
 私は亮太に合わせて、歩く速度を速める。
「櫻澤英二郎――美神湖の畔に豪邸をかまえ、一人きりで暮らしているお爺さんです。たぶんもう、七十歳を超えていると思いますけど」
「それのどこが変人?」
「異常なほど人間嫌いなんですよ」
 冷たい風が吹いた。私は身体を震わせ、パーカーのポケットに両手を入れる。
「先輩、美神湖のガイドマップを持ってましたよね?」
「うん、駅でもらったヤツね」
 スポーツバッグのポケットから、四つ折りにしたマップを取り出して広げた。
 ガイドマップには、美神湖周辺の建物がこと細かく書き記されている。《わんぱく村》と呼ばれる湖の西側一帯は別荘が軒を連ねているが、レジャー施設のようなものはいっさいなく、お世辞にも活気のある場所とはいい難い。夏場にわずかな釣り客が訪れるだけの寂しい――よくいえば穴場の観光地だった。標高が高いため、夏場は過ごしやすいが、冬の寒さはかなり厳しい。そんな時期にわざわざ足を運ぶ物好きなど、おそらく私たち以外には一人もいないだろう。
「美神湖の東側を見てください」
 亮太にいわれるまま、マップの右半分に視線を移す。小さな文字で《私有地》と記されていた。
「そこが櫻澤の豪邸のある場所です」
「え?」
 思わず声が裏返る。
「湖の右側全部が?」
 亮太はこくりと頷いた。その横で、大袈裟にため息をついたのは幹成だ。
「とんでもない金持ちだな。俺のところなんて、家族三人で2DKの安アパートに暮らしてるっていうのにさ」
「世の中には、こういう奴もいるってことさ」
 亮太は唇を突き出し、肩を小さく動かした。
「大金持ちなら、人生の成功者じゃん。そんな奴が、どうして人間嫌いになったんだろう?」
 幹成の問いに、亮太は頭を横に振った。
「そこまでは俺も知らない。べつに俺、櫻澤と知り合いってわけじゃないから」
「――ねえ、見て!」
 突然、亜弥が叫ぶ。彼女の甲高い声は、遠くの山に反射してこだまとなって返ってくるほどの勢いがあった。
「あれ、湖じゃない?」
 亜弥の指差した方向へ目をやると、確かに青白く光るものが木々の間で揺れている。
「あと少しだから、みんな頑張れ」
 部長が励ましの言葉をかけ、皆の歩くスピードは少しだけ速まった。

つづく

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