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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)16

第1章 懐古の夜(15)

3(承前)

 私は亮太の手を引っ張りながら、人混みをかき分けて土手を降りた。人工呼吸ならマスターしている。役に立てるかもしれない。
「意識はあるんですか? 私、人工呼吸だったらできますけど」
 大声をあげながら前に進むと、河原に男性が横たわっているのがわかった。
「ダメだ、呼吸してねえよ。お姉ちゃん、お願いできるかい?」
 全身びしょ濡れになった無精ひげの男が、息を弾ませながらいった。この寒空の中、川に飛び込んで助けたのだ。そうそうできることではない。
「やってみます」
 私はシャツの袖をまくると、横たわった男の顔を見た。
「あ……」
 脊髄に、衝撃が走る。見覚えのある男だった。忘れるはずがない。つい十分ほど前、顔を合わせたばかりなのだから。
「黒井夢魔……」
「え? もしかして知り合いかい?」
 無精ひげの男が尋ねる。
「いえ、そういうわけでは……」
 ためらっている場合ではなかった。私は大きく息を吸い込むと、彼の肺に空気を送り込んだ。生きた人間に人工呼吸をするのは初めての経験だったが、驚くほど簡単に彼は水を吐き出し、意識を取り戻した。
 私の周囲で、歓声が湧き起こる。
「大丈夫ですか?」
 話しかけると、黒井は口をぱくぱくと動かし、喉の奥からかすれた声を漏らした。
「や……やられた……」
「え? なんです?」
 黒井は表情を歪め、苦しそうにうめきながら腹を押さえた。押さえた箇所に目をやり、私は「ひっ」と悲鳴をあげる。彼の身体をくるんだ毛布は、腹のあたりが真っ赤に染まっていた。
「お腹……血が……!」
 あたりが暗いので、それまで誰も気づかなかったらしい。無精ひげの男が、慌てて毛布をはがした。
「ああ……」
 目前に現れた光景に、愕然とする。黒井の下腹部からは、勢いよく血が吹き出していた。
「やられた……」
 彼の呼吸が乱れる。
「しっかりしてください!」
「やられた……むすこ……むすこ……」
 意味不明の言葉だった。彼は「むすこ、むすこ」とうわごとを繰り返しながら、再び気を失ってしまった。
「黒井さん!」
「ああ……」
 奇妙なうめき声が、私の背後で聞こえた。振り返ると、亮太が真っ青な顔をして立ち尽くしている。
「気分が悪い……」
 彼はかすれた声を出すと、そのまま私のほうへ倒れ込んできた。
「亮太! 大丈夫?」
 なんとか彼の身体を受け止めたが、その勢いで私は激しく尻餅をついた。
 亮太をこの場へ連れてくるべきではなかった。
 自分自身のあさはかな行動を悔やむ。今夜の出来事は、一年前の事件とよく似ていた。亮太にとっては、辛い過去を思い出させる結果となってしまったに違いない。
 やっとのことで救急車が到着し、黒井夢魔は慌ただしく病院へと運ばれていった。
 しかし、その日のうちに彼は息を引き取ったそうだ。
 直接の死因は、ショック性の心筋梗塞と聞いている。

第1章「懐古の夜」終わり
第2章「凍てついた湖」につづく


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