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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)21

第2章 凍てついた湖(5)

1(承前)

 県選手権が終わったあとの幹成の落ち込みようはひどかった。しばらくの間は誰とも口をきこうとしなかったくらいだ。
 しかし、やはりスポーツマン。すぐに立ち直り、よきライバルができたと、今度はがむしゃらに頑張り始めた。
 その後の幹成の勢いはすごかった。しかし、亮太はそれより数段勝っていた。続くブロック大会では16分51秒8とまた自己ベストを更新して、五位入賞を果たした。幹成も入賞は逃したものの大健闘の末、九位に入った。
 ブロック大会はインターハイの予選を兼ねており、日本水泳連盟が設定した標準タイムを切ると、インターハイへの出場権利を得ることになる。千五百メートル自由形の標準タイムは16分49秒8だった。亮太はインターハイ出場の権利獲得を、わずか二秒の差で逃してしまったのだ。
 来シーズンこそは――。
 それが亮太の願い、そして私たちの願いだった。
「頑張ってね」
 私は亮太の肩を叩いた。
 そのときである。
「――出て行け!」
 耳をつんざくような怒鳴り声が、あたりに響き渡った。あまりの大声に、湖の表面が揺れ動いたかと思ったくらいだ。
「なに?」
 私たちはたがいに顔を見合わせ、首をかしげた。
 湖沿いの小道と櫻澤邸の敷地内を隔てる頑丈そうな鉄門が、ゆっくりと内側に開き始める。同時に、派手なエンジン音が聞こえた。馬鹿でかい外車でも現れるかと身がまえたが、そこに出現したのはその場の雰囲気にまったくそぐわない薄汚れた軽トラックだった。ボディに、スーパーマーケットのロゴがペイントされている。砂煙をまき上げ、私たちを追い抜いていった車だ。
「汚らわしくて反吐が出る。さっさと立ち去れ!」
 トラックの後ろで、竹箒を振り回しながら鬼の形相を示しているのは、顔中に深いしわを刻んだ老人だった。大きな鷲鼻が特徴的だ。
「あれが櫻澤ですよ」
 亮太が私に耳打ちする。
「ああ。いわれなくても出ていくさ」
 トラックの窓から顔を出した男は、地面に唾を吐き捨てて叫んだ。帽子を目深にかぶっているので顔かたちはよくわからないが、右頬の十文字の傷がやたらと目立っている。まだ若く、おそらく二十代前半くらいだろうと私は推測した。
「頼まれたから来てやったっていうのにさ。ふざけるのもいい加減にしろ」
「早く出て行け! 貴様の顔なぞ見たくもないわ!」

つづく

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