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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)19

第2章 凍てついた湖(3)

1(承前)

 亮太の別荘は、湖から二百メートルほど離れた場所にあった。亮太はオンボロの家だといっていたが、なかなかどうして立派な建物だ。檜を使ったログハウスで、そばに寄ると、心地いい木の香りが漂ってくる。大きな庭の中央にはひょうたん型の池があり、そのそばには葉を落とした大木がどしんと腰を据えて立っていた。
 建物の中へ入ると、二十畳ほどの大部屋がカーテンでふたつに仕切られている。部屋の隅には、塵ひとつ積もっていない古風な暖炉が備えつけられていた。暖炉にほどこされたエジプト風の彫刻は、見ているだけで暖かくなりそうだ。
「わあ、いいなあ」
 真っ先に部屋に飛び込んだ亜弥が、目をきらきらと輝かせながらいった。
「あたし、結婚したらこんな家に住みたいなあ。大自然の中で、彼氏と一緒に牧場を経営するんだ」
「彼氏って誰だよ。そんな奴がいるのか?」
 幹成がにやにやしながら、ツッコミを入れる。
「大きなお世話。きっとそのうち現れます。少なくとも、あんたじゃないことは確かね。そうだ! あたし、リョーちゃんと結婚しようっと。そうすれば、ここでずうっと暮らせるもんね」
「ばーか」
 幹成は、亜弥の頭を小突いた。
「亮太には椎名先輩がいるだろうが。な、亮太」
「馬鹿。なにつまんないこといってるんだよ」
 ぶっきらぼうにそう答えた彼の頬が、わずかに赤く火照ったように見えたのは、単なる私の思い上がりだろうか。亮太は紫外線を浴びると、すぐに肌が赤くなる体質だ。もしかしたら、単に日焼けしただけだったのかもしれない。
 私は亮太に好意を抱いているし、亮太だって私を憎からず思っているはずだ。趣味が似通っているため、話題には事欠かなかったし、なによりも水泳に対する熱い思いを語り始めたら、おたがいに言葉を止められない。そんな二人だから、一緒にいる時間も長かった。恋人同士だと疑われても仕方がないだろう。だけど実際にはまだ、仲のよい二人という状態のまま足踏みを続けている。私自身も、彼と恋人同士の関係に発展したいのかと問われると、力強く肯定することはできなかった。
「さ、ジャージに着替えてトレーニングを始めようぜ。ね、部長」
 照れ隠しなのか、亮太は早口で言葉を紡いだ。
「えええ? もう練習するのお?」
 間髪入れず、亜弥が露骨にイヤそうな表情を浮かべる。
「当たり前だろ。来シーズンに向けて、俺たちは張りきりまくってるんだからな」
 幹成が、勢いよく右腕を振り回した。
「俺は来年こそ、亮太を打ち負かして県大会で優勝するんだ」
「リョーちゃんに勝つのは、絶対に無理だよお」
「おい。いってくれるじゃねえか。どうしてだよ? 俺と亮太の千五百メートル自由形のベストタイムは、わずか二十秒違うだけだぞ。それくらいの差――」
「だって、努力が全然違うもん」
 亜弥は、幹成の言葉をさえぎった。
「リョーちゃんの練習量は半端じゃないよ。シーズンオフのこの時期でも、陸トレは絶対に欠かさないじゃない。誰かさんみたいにサボったことなんて一度もないし」
 そこまでしゃべると、彼女は振り返って亮太に笑いかけた。えくぼが実に可愛らしい。
「リョーちゃん、頑張ってね。春には新しく室内プールもできあがるし、今年こそインターハイ出場は間違いないよ」
「ああ、任せとけって」
 そう答えた亮太の瞳は、輝きを増した。私はこういうときの彼の表情が、たまらなく好きだ。
「さ、練習、練習」
 部長が一年生三人の尻を叩いて、軽やかに足踏みを始める。
「みんな、来シーズンに向けて頑張ろうぜ」

つづく

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