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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)14

第1章 懐古の夜(13)

3(承前)

 イチミの電話はやたらと長い。当分、繋がることはないだろう。
 あきらめてボックスを出た私は、カウンターへ戻ると、うなだれる亮太の肩に手を置いた。
「もうすぐ十一時になるよ。とりあえず家に電話したらどう? お母さんたちも心配してるんじゃない?」
「おふくろには、友達の家に泊まり込んで勉強するっていってあるから大丈夫です」
「親に嘘をついたんだ。全然、大丈夫じゃないじゃない。もう列車もないよ。このあと、どうするつもりだったの?」
「二十四時間営業の漫画喫茶が、最近オープンしたでしょ?」
「そんなところでひと晩過ごしたら、身体を壊すよ。大体どうして、こんな遠くまで来たわけ?」
 もう一度カウンターに座り直して、そう尋ねる。
「べつに。ただ、スカッとしたかったから……」
「スカッとするなら、もっと高校生らしい方法があるでしょ? なにもお酒を飲まなくたって」
「俺にだって、酔っぱらって忘れたいことくらいあります」
 そういいながら私の前に置かれた水割りに手を伸ばそうとしたので、腕をぴしゃりと叩いてやった。
「そうだ。この時期って、期末テストがあるんじゃなかった?」
「来週の月曜からです」
「呆れた」
 額に手を当てる。
「あんた一体、なにをやってるの?」
 亮太のいい加減な態度に本気で腹が立ったが、彼には私の小言などまったく聞こえていないらしい。胸ポケットに手を入れたかと思うと、ぎこちない手つきで煙草を取り出した。
「ライター貸してください」
 大人ぶった態度で、謙に声をかける。
「やめなさいってば」
 亮太の腕を叩く右手に、今度はかなり力が入った。テーブルが揺れ、グラスの中の氷が音を立てる。亮太が手にした煙草は、床にこぼれ落ちた。
「いってえ」
 腕を押さえ、亮太は大袈裟なリアクションを示した。
「椎名先輩、相変わらずの馬鹿力ですね」
 唇の端をわずかに曲げ、薄ら笑いを浮かべる。
「煙草なんて吸ったら、いいタイムを出せなくなっちゃうよ」
「タイム……」
 私の発したひとことに、亮太は異常なほど敏感に反応した。
「もういいんです」
 途端に、彼の表情は強張った。無理矢理笑みを作ろうとした唇は、小刻みに震えている。
「俺、水泳はやめましたから……」
 あまりにも寂しい横顔だった。高校生の見せる表情じゃない。
「俺、もう泳ぐつもりはありません。だから酒だって、煙草だって、我慢する必要はないんです」
 亮太はわざとらしいほど明るい口調でそういうと、グラスの中の液体を一気に口に運び、そして咽せ返った。
「まだ……泳げないの?」
 私の問いに、びくんと身体を震わせる。
「だって、あれから一年以上経ってるのに」
「……ダメなんです」
 苦しそうに、亮太は唸った。
「ここぞというときになると、決まってふくらはぎが痙攣を起こして……」
 じっとグラスを見つめたまま、彼は続ける。
「俺だって、努力しましたよ。でも、無理なんです。いくら頑張ったって、もう昔のようには……」
 語尾は涙声に変わっていた。肩を叩き、彼に励ましの言葉をかけてやろうと思ったが、すんでのところで思いとどまる。たぶん、口から出るのはありきたりの、気休めにもならない台詞ばかりだ。
「今日、俺宛てにこんな手紙が届きました」
 汚れた口もとを拭うと、亮太は上着のポケットからくしゃくしゃに丸まった紙切れを取り出した。
「読んでみてください」

つづく

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