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『はなの街オペラ』(森川成美 著/坂本ヒメミ 絵/くもん出版)

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「――人生いろいろなことがあるよね。でも、どんなときだって、こういう瞬間があれば、救われるっていうもんだ。そうじゃないか?」p.167他

森川成美さん『はなの街オペラ』(くもん出版)を読みました。これまで見知らぬハワイの島々や、遠い昔の平泉に私を連れていってくれた森川成美さんが、今度は活力に満ちた大正時代に案内してくれました。いろいろな映画や漫画で描かれてきた大正という時代。映像であれば一コマの背景として見過ごしてしまいそうな日常や文化が活字となることで、頭の中にさらにダイレクトに再現される……やはり小説はすばらしい、とあらためて実感しました。これも、綿密な取材と著者の大胆な想像力のおかげでしょう。

『はなの街オペラ』あらすじ(公式より)

時は、大正時代。宇都宮で生まれたはなは、東京の井野家に奉公に出ることになる。井野家の主人、一郎の仕事は、夢の街・浅草でオペラを上演する歌劇団。なれない都会暮らし、なれない奉公に、はじめのうちはとまどうはなだったが、ひょんなことから、井野家の書生として音楽学校に通いながら、一郎の劇団を手伝う響之介に見いだされ、歌のレッスンをうけることになる。おさない頃から歌うことが好きだったはなは、響之介の指導や、浅草オペラとの出会いを経て、次第にオペラに関心をもつようになる。そんなあるとき、響之介が井野を裏切り、自分の劇団を立ち上げたという知らせが届いて……
困難な状況にある人々が、逆境のなかでも、音楽の力を信じ、音楽に励まされながら、明日へ進んでいく物語。

ドイツ人の父親に日本に置き去りされた美貌の響之助、浅草オペラにいりびたる「ペラゴロ」にして地方出身のぼんぼん野下、大けがで士官学校からドロップアウトしかけているエリート軍人の卵、鳳馬など、時代背景を感じさせる登場人物がたくさん登場します。一人一人が、人間味をもって描かれていて、物語の世界にぐっと引き込まれてしまいます。

物語が急転し、はながはじめて一幕オペラ「トスカ」に引きずり出されたところは、とくにドキドキ、わくわくしながら読み進めました。まったく、このドラマチックな物語を牽引するのにふさわしい力強さと意思をもった主人公です。折れてしまいそうなのに折れない強さは、ほかの森川さんの作品に出てくる少女にも共通した印象です。

お話のクライマックスは大正12年9月1日――日本の運命を大きく変えたあの日がついにやってきます。胸が苦しくなるような大惨事の描写のあと、力強い「メリー・ウィドウ」が響きわたるシーンには目頭が熱くなりました。コロナ禍にある日本の現実と重ねずにはいられませんでした。文学を含む文化芸術が不要不急のあとまわしとされる中、たくさんの芸術家が歯を食いしばって、火を絶やすまいと踏みとどまっておられる現状を、私たちは目の当たりにしています。こんな時に不謹慎な、と言われるかもしれないという恐れをのんで歌うはなと、はなの歌は、やはりだれかの心を動かします。救いとなりもします。でも一番すばらしいのは、はなが、だれかのためではなく、やはり自分のために歌わずにいられないところです。だれかのため、と綺麗にうそぶこうが、やはりそうでなければ、どんな歌も心までは届きはしないのでしょう。自分勝手なのかもしれませんが、それが、ミューズに魅入られるということなのかもしれません。

運命の日のメリー・ウィドウ。作家のはしくれとして、同じ児童文学の作家である(というにもおこがましい方ですが)森川さんが、この描写に万感の思いを込められたのではないかと想像します。はなの選択、ぜひ実際にお読みになって確かめてみてください。

大震災をひとつの契機に、日本と日本の文化人は暗い激流に飲み込まれていきます。物語のあと、はなはどうなったのでしょう。二木さんと久美と、短い間でも、いろんな場所で歌うことができたのでしょうか。響之助は日本に帰ってくるのでしょうか。読者としては、行く末を想像して心配になってしまいますが、少なくとも、最後のページは希望だけにあふれています。

最後に。鳳馬さん、あきらめずに頑張って…!(突然の鳳馬推しw)最後のはなの選択は、気の毒ながら、鳳馬さんにとって最後のひとおしになったのではないかと、妄想しています。もう逃れられない、離れられない、沼とわかっても落ちずにいられない沼へ落ちていく、最後の一歩です。ほかにはどう見られようと、事実それが呪縛であろうと、強く美しいミューズにふりまわされる人生もよいのでは……ねえ鳳馬さん^^

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