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黒川能のおもしろさ

黒川能とは

山形県鶴岡市の(旧櫛引町)黒川地区で500年以上も続いている伝統芸能です

1976年に国の重要無形民俗文化財に指定されました

能を舞うのは春日神社の氏子であり
能楽師ではありません
氏子は黒川能の担い手としての役割も代々受け継がれています

2月に行われる王祇祭は最も大きなお祭りで夜通し黒川能を演じます

古くから伝わる黒川能の

1.起源不明

黒川能の起源ははっきりとわかっていません
江戸後期に黒川能の由来を寺社奉行に提出した書状には
縁起は紛失したとしながら口伝として

・800年代後半清和天皇が黒川に訪れた際に伝わった

と記されています
さらに

・1400年前後後小松天皇の第3皇子が黒川に入った際に伝わった

との口伝もあります

江戸後期には既に起源は不明

誰が・いつ・どのように伝えたのか
諸説あるのではっきりとはわかりません

500年以上続いているとされながらも伝わったとされる時代がバラバラなのはどうしてなのでしょうか

2.独自の伝承

世阿弥が大成した後の猿楽能の流れを汲んでおりその意味では現在のシテ方五流派(観世、宝生、金春、金剛、喜多)と同系ではありつつも
いずれの流派にも属さずに独自の伝承を続けています

曲目と演式

曲は540番(能が500番・狂言が40番)
これは五流の曲目の倍以上と言われており中には絶えた古い演目も残っていて
中央では行われていない演技の形も受け継がれています

能面や装束の着装

能面が230点と能装束は400点が受け継がれていてこの着装にも古い様式が残っており
中央とは違うところもあるようです
黒川能では王祇祭でしか付けることのない面もあります

<行われていない演技の形と能面の着装に関して狂言の例を1つ>

主に王祇祭で演じられる
演目の1つに「節分」があります
この演目では2点黒川能ならではの面白さがあります

あらすじは
夫の留守に尋ねてきた鬼
家にいた美人の妻に惚れ込んでしまい貢物を持ってきては追い返され
それでも何度も足を運びとうとう家に上がり込みますが寝ているところを女に豆を撒かれ退治される
節分というだけあって鬼退治の話です

どの部分が黒川能独自なのかというと

妻が面をつけていること(着装)

豆を撒くこと(演式)

五流では面をつけているのは死人(幽霊)
生きている人間を演じる際はまずつけないのだそうです
ただ黒川能で演じられる節分では生きている妻が面をつけています
幽霊ではないのに面をつけることが着装の違いです

もうひとつの豆を撒くとは
女が豆を撒いて鬼を退治する場面で実際に落花生や小袋入りのお菓子などを投げること

鬼は〜外〜と豆を投げるので皆床に落ちた豆を拾います
落花生や柿の種や小魚などがあります

ここが民俗芸能ならではの伝わり方なのかもしれません
王祇祭では当屋(民家や公民館)での演能なので豆を撒くことができるのかもしれません
これは黒川能独自の演式なのでしょうか

この演目は王祇祭で雰囲気も込みで実際に見ていただく方が伝わる気がします

子供の頃から夜遅くても節分だけは見たかった私
お菓子がもらえるのと皆優しく子供にはわけてくれるので気分だけはハロウィンのようでルンルンです
子供でもわかりやすいストーリーで飽きることもなく
「あっちへうせ〜ぃ あっちへうせ〜ぃ あっちへうせ〜ぃ」
(と私は聞こえているきっとそう言っている)
妻が鬼をあっちにいけと追い返してる場面が面白く子供の頃から笑っていた記憶があります

3.言葉

最近は若い人が演じることも増え聞き取りやすくなることも多くなりましたが
やはり庄内の訛りが強い

古語×訛り

ダブルでわかりにくい現代人です
ただそれもまた黒川能ならではだと思います

黒川の地で黒川の人たちによって受け継がれている伝統
言葉もその1つなのだなと感じています

以前よりは訛りが減っているように感じて聞き取りやすくいいなと思う半面
訛りのある黒川能もまた減ってきたのか
時代と共に変わっていくのだろうか

おわりに

黒川能のおもしろさは
他にもまだ沢山あるのかもしれません
起源不明なことはミステリアス要素があって
独自の伝承を続けていることは唯一無二の黒川能の魅力なのかなと感じます

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