年上の人は自分の写し鏡となる人になる
「君は、きっと将来、あの上司のようになるんだね」
大学を卒業して初めて入った会社の同期に飲み会でそう告げられました。
今でも鮮明に思い出せるくらい印象に残っています。
当時の僕は社会に出てからまだ右も左もわからないひよっこ社会人でした。
そんな中で、僕が社会人になって初めて付いた上司は、スパルタでしか指導方法を知らない。そういう上司でした。
僕は必死にそれが社会人として当たり前のことだと思い込もうとしました。
けれども、今振り返ってみるとそれは社会一般にとってはそこでその会社や上司に順応するという能力が必要だったのかもしれませんが、個人としては明らかにその上司と相性が悪かったと思っています。
僕は、同期の言葉からその当時の上司のように振る舞う自分を想像したのですが、どうしても今の上司の姿が将来の自分というイメージに結びつきませんでした。
結果的に、僕はその会社を半年で辞めます。
そして会社を転々とする期間が続きました。
そして今の仕事でやっとこの上司の下で頑張りたいという上司と出会えました。初めてこの人らしく振る舞う見本のような人だと思いました。
良いところも悪いところも彼から吸収すれば自分はさらに自分を高めることができる!!
そう考えました。
今になって強く思うのが、自分の身近にいる年上の何かを見て、しぐさや動き、技術をもらったり奪ったりして自分ができているのだということを痛感します。
僕の話を読んだ後で、以下のことを目をつぶって自分に問いかけてみてください。
あなたは誰を尊敬していますか?
そう言われて誰を思い浮かべますか?
彼、彼女のどこがあなたにとって素晴らしいのですか?
あなたはきっと知らず知らずにその尊敬する人、好きな人の何かを真似たりしているはずだと思います。
もしも、周囲に誰も尊敬できる人がいない、または自分が吸収できる人がいないなど日々を惰性で生きているのなら、その場所はそろそろ離れた方がいいのかもしれません。
あなたのためになりませんから。
何か自分の求めるものを探しに旅に出ましょう。
人でなくてもいいのですが、目指す目標となる人や物事がある人ほど、前に進めると思っています。
私ごとですが、僕の目標とする上司はこの春で転勤してしまいます。
やっと出会えた目標なのに去ってしまうのが悲しいです。
今、尊敬している人がいるならば、その人との時間は必ずと言っていいほどに限りあるものであることだと思います。だからこそ、人は今を大切に生きられるのだと思います。
僕も、そしてあなたも、今を大切により良い春を迎えましょう!!
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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