「走馬灯」

きみに逢い
やるべき事がまた増えた
復讐の足は止められないのに

※この話は先日公開した「映画の外」という短編の別視点です。
※本作「走馬灯」も全年齢向けの内容ですが、「映画の外」に比べるとやや残酷な表現が含まれます。

「映画の外」は下記リンクより
https://note.com/kuroiro0225/n/nd0dd64697d98


幼い頃、よく母に連れられて映画館へ行った。

昼も夜も働きづめだった母は休日になると僕を連れ街に出て、路地裏の小さな映画館に入った。そこで上映されている作品は決して子供向けではなかったし、正直言って意味が分からないまま終わってしまう事も多かったけれど──でも僕はそれで良かった。ただ母と一緒に何かをするという、それだけが重要だった。

父はいなかった。
おそらく僕は正妻の子では無かった。そう考えてみると、「認」と書いてツナグと読むこの名前にもなかなか複雑な意味があるのだろう。けれどそんな事を知らない僕はただひたすらに母のことが好きで、彼女の仕事が終わって帰るのを心待ちにしていた。僕はそういう風に育った子供だった。

映画は良い。
上映中の館内は完全に外の世界と隔絶されていて、僕と母だけで未知の世界へ歩いて行ける。遠く離れた草原を踏みしめて、見知らぬ山を登って、海を渡って、空を泳ぐ魚を見る。一人きりで眠る夜の寂しさも、自分で夕飯を買って帰る心細さも、全部、全部忘れていい。ただ映画を見つめていれば、そこにはいつだって違う世界がある。精神にそういう筋金の通っている僕が制作者を志したのは、至極当然の流れだった。

母が死んだのは僕が10歳の時だった。
僕の住んでいた街には帝国軍の駐屯所があって、そこが襲撃された時、食堂で働いていた母も巻き込まれた。遺体の顔は左半分が千切れ飛んでいて、肩から下は見つからなかった。他にできる人がいなかったから、10歳の僕はそれを見て「これは確かに僕の母です」と言わなければならなかった。

人生が穏やかな死に向かって続く道のようなものだとしたら、僕がそれを踏み外した切っ掛けは間違いなく母の死だった。唯一の身寄りである母を失った僕は施設に引き取られて、そこでただひたすらに努力して、映画監督になるための知識と資金を稼ぎ続けた。母が残していたであろう貯金は誰かが持ち去っていたけれど、追及している暇は無かった。当時の関係者の人柄からして、もう戻らないだろうと分かっていたから。そんな奴らに構うくらいなら、もっと将来のためになる人脈を作れと自分に言い聞かせていた。

人脈の作り方は、かなり強引な方だったと思う。
エキストラとして参加した現場の中で、責任者らしい人にとにかく声を掛けて回った。取り合ってくれないのが殆どだったけれど、中には僕の話を聞いてくれて、現場で雑用を任せてくれる人もいた。そうして得た給金を貯めて、大学へ行って専門的な知識を得た。更なる人脈を得るためにはそれなりの風格が必要だと知ると、更に仕事を増やして、身なりを整えた。

シダフミくんに出会ったのは、そんな学生生活が終わった次の年だった。
自分の撮りたいものは明確だったが、それだけでは足りなかった。ただ僕の理想だけを詰め込んだ作品では、本当に作りたいものにはまだ足りない。僕が作りたい映画は帝国の威光と敵対諸国の愚かしさを伝えるものでなければならない。ただ僕が「すごい」だの「馬鹿だ」だの喚きたてるだけでは、それは表現できない。如何にしてスクリーンと現実の距離を縮められるかが問題だった。だから実際に奴隷たちを遣わせる町で、人々と奴隷が如何なる関係を築いているか、この目で見て学ぶ必要があった。

そうして訪れた町で、僕はシダフミくんに出会った。
最初は僕に似た境遇の苦学生なんだろうと思っていた。彼には見学の際に世話になるだろうし、同情の思いもあって、食事を奢ることにした。

本当に軽率な行動だった。
僕にとっては大したことではなく、ただ取材旅行に必要な経費の一部程度の認識だった。けれど彼は僕が思っていたよりもずっと追い詰められていて、僕のことを、まるで救世主か何かのように勘違いしてしまった。僕はただ道を踏み外しただけの半端者で、誰かを救う力なんて無いのに……ただ持て余した復讐心で噛みついて、腹立たしい気持ちのままに自分の理想を話し続けただけなのに。

シダフミくんはそんな僕を助けるために、敵兵が蠢く戦場へと飛び出していった。そして戻ってきた後も、助けを求めてきた誰かの手を振り払って、僕なんかのために薬を持ってきてくれた。

僕はそれが恐ろしかった。
僕は名前すら知らない父に似ているんだと理解して、その場で叫び出してしまいそうだった。
後のことなんか考えずに僕の母へ情を掛けて、彼女の運命を狂わせたことさえ、きっと知らない。僕はきっとあの日の侵攻が無ければそれにさえ気付かずに本土へ帰って、そしてシダフミくんのことを思い出す事も無く過ごしていただろう。そんな恐ろしい未来の可能性を前にして、僕は縋るようにして彼の手を取った。

本土に帰ってからは、それまで以上に苦労した。
何せ僕は自分の食い扶持を確保しながら仕事に明け暮れるばかりの日々で、成長期の少年を養う財力なんてどこにもない。一人暮らし用のワンルームに中古で買った布団を運び込んで、見切り品ばかり放り込んだ鍋を二人で囲む生活が続いた。幸いにも「奇跡の生還を果たした保鹿監督が描く帝国軍の雄姿!」と銘打って公開された短編映画が好評を得て、その生活は半年も続かなかったけれど……家具も殆ど無い部屋を見た時のシダフミくんの顔は、今も忘れられない。

金銭的な余裕ができてからは、また別の苦悩があった。
僕はこれからたくさんの映画を撮って、そしてその中で国外から多くの恨みを買って、そしていつか殺されるだろうと分かっていた。だから新しく買った家は最初からシダフミくんの名義にしたし、彼が現場で稼いだ分の給金は全て貯めさせて、生活に必要な資金は僕の財布から出した。僕がいなくなった後も生きていけるように資格を取らせたし、ついでに猫も飼って、心の拠り所になるように懐かせた。それが僕の思いつく限りの、彼にしてやれることだったから。

苦悩。そう苦悩だ。
金に余裕ができて、僕がシダフミくんにしてやれることは増えた。だから惜しむことなくそれをした。そうするべきだと思ったからだ。僕はその責任があると思ったから。僕の命を救ってくれた彼に、恩を返さねばならないと思ったから。

それだけだった。そうであるべきだった。

けれどいつの間にか、そうじゃなくなった。
いつからか彼は僕にとって唯一無二の存在になってしまって、その全てが愛おしいと思うようになっていた。

出会った頃には僕の肩くらいだった背が伸び始めて、旋毛が見えなくなった頃から、柱に印を付けて身長を測っていた。
彼が成人した日には、僕が一番気に入っているブランドの腕時計を贈って、彼の手に馴染むように調整した。
休みの日には映画を見に行って、その後で一緒に食事をした。

僕がそういう事をすると、シダフミくんは必ず猫のような顔で固まって、少しだけ背筋を伸ばした。彼は知識と技術は持っているけれど、圧倒的に経験が無い子だった。背比べは知っているけど実際にしたことは無くて、僕が出掛けようとしても、自分が連れて行ってもらえるとは微塵も思っていない。僕はどうしようもなく愚かだったから、そんな彼を前にして、自制心を保つことができなかった。

だから僕は彼のことをたくさん抱き締めた。何か少しでも良いことがあれば、必ず。それからたくさん名前を呼んで、どこへ行くにも一緒にして、会う人すべてに彼を紹介した。そうしている間にも、自分は母を奪われた復讐のためだけに生きているのだと自覚しながら。

忘れたわけじゃなかった。
僕は、僕の母を奪った愚かな者たちを絶対に許せなかった。ただ一人の男を愛して、その男との間に生まれた僕をひとりで必死に育てていただけの彼女を、あんな惨い殺し方をした鬼畜共を絶対に許さない。奴らには二度と帝国へ歯向かおうなんて考えさせてはならない。だから僕は映画を撮り続けた。

異国の奴隷たちをカメラの前に立たせて、目を背けたくなるような醜態を晒させる。
彼らの悲鳴は帝国の威光を示すための道具に過ぎない。ただ僕と同じ形をしているだけだから、罪悪感なんてない。裸で逃げ惑って、必死に命乞いをする彼らを追い詰めて、何十人も一気に殺したこともあった。そうして出来上がったフィルムを公開して、これこそが真実なのだと世界中に喧伝した。

映画は良い。
上映中の館内は完全に外の世界と隔絶されていて、そこでは母が死ぬことはない。ただ帝国の正義が映し出されるだけで、無粋な愚か者共に邪魔されることはない。だから僕は映画を撮り続けた。

止められない。止めることなんてできない。
出会った時にはもう、走り出した後だったから。下り坂を転がるように、ただ進むだけだったから。僕はもう、そういう風に進んで倒れるのを待つだけの人生だったから。立ち止まる方法なんて、僕自身にも分からない。

シダフミくんはいつも、そんな僕の隣にいた。僕が手を引くのだから当然だった。本当は放すべきだと分かっていたのに、彼を一人にしたくなくて放せずにいた。
気が狂いそうだった。撮影に使う奴隷を見ていると腸が煮えくり返って、今すぐにでも包丁で滅多刺しにして殺してやりたくなった。でも僕は包丁を握ろうとした手でシダフミくんの手を握って、向こうで売っているクレープを食べようと微笑んだ。

狂う、狂う、気が狂う、頭がおかしくなる。
そんな事するべきじゃないって分かっているのに、僕はシダフミくんの手を離すことができない。ずっと傍にいてほしい。どこにも行かないでほしい。一緒に映画を見て、食事をして、同じ家に帰って眠りたい。でも許せない。世界中の、この国以外に住む人間を全員殺してやりたい。

分かってる。全部分かってる。僕はどちらか一つを選ぶべきで、そして選ばれるべきはシダフミくんの方だと。復讐なんてするものじゃない。母は僕にそんな事を望んでいない。僕が撮りたかった映画はこんなものじゃない。

でも止まらない。止められない。僕の頭は如何に劇的に彼らを殺してしまうのかを考え続けて、そして導き出した答えは皆に評価される。次を次をと、僕を含めた皆が求め続けている。僕は映画を撮る。撮って撮って撮り続ける。

シダフミくんは僕を「ツナさん」と呼んだ。特に二人だけの時は頻繁に僕のことを呼んで、花が綻ぶように笑う。僕の隣にいる時が一番幸せだと言うように、少し甘えた声で、何度も僕の名前を呼ぶ。
そういう風に慕ってくれる彼が、愛しくて愛しくて堪らなかった。僕だって、シダフミくんの隣にいる時が一番幸せだった。そのままずっと彼にしがみ付いて、この身が千切れてしまっても、それでも残った部分だけで縋っていたいと思うくらい、シダフミくんに執着してしまいたかった。

駄目だ。それは駄目だ。
僕は大人としての立ち振る舞いをするべきだ。僕に逆らう手立てのない彼を縛り付けるなんて、あってはならない事だ。彼はいつか、僕の元から去るべきだ。それは僕の死によってか、そうでないのかはまだ見えないが──少なくとも、僕が辿るであろう最期に付き合わせてはならない。彼は僕のものではないから。彼の人生は彼のものだから。だから僕は、彼が僕の元から離れられるようにするべきなんだ。

夢を見るようになったのは、シダフミくんの背丈が僕と殆ど変わらなくなった頃だ。
薄暗い、青みが掛かった暗い景色の夢だ。僕は洗面台の前に立って、顔を洗って鏡を見る。そうすると僕ではないもう一人の僕が後ろから忍び寄って、耳元で囁く。

もうシダフミくんは大人になったよ。ここから先は彼自身の判断だ。
少しばかり我儘を言ってもいいじゃないか。それを叶えるかどうかは彼次第だ。彼がそうすると決めたんなら、それで良いじゃないか。僕には何も、責任なんてないよ。そうすればもう、悩む必要なんかない。二人で仲良く復讐の花道を進めば良い。そうすれば二人とも幸せになれるに違いない。

僕はもう一人の自分を振り払って、床に押し倒す。そして首元に何度も何度もナイフを突き立てる。二度と起き上がってこないように、念入りに。でも全て夢の中の出来事だから、次の夜にはまたもう一人の僕が現れて、同じことが続いていく。

足元には殺した僕の死体が重なっていく。
歩きづらいなぁ、と思いながら洗面台に辿り着いて、いつものように顔を洗う。そうすると新しい僕がやって来て、いつものように囁く。だからそれを殺す。

いつかこの夢に出てくるのがシダフミくんになったら──そう考えると、眠れなくなった。
どうしようもない恐怖が僕を襲った。もしあの洗面所に、僕の死体たちを踏み越えて現れる存在が彼の姿になっていたら、僕はそれをどうするだろうか。シダフミくんの姿で、声で、「俺も一緒に行くよ」とでも言い始めたら──僕はそれを殺すのか? それとも受け入れるのか? 分からなかった。分からない事が恐ろしかった。

恐怖に耐えられなくなった時は映画を見た。
できれば劇場が良かったが、夜中に行ける範囲には無かったので、仕方なくビデオで見た。それに気付いたシダフミくんや猫が部屋から出てきて、僕の隣で眠ることも何度かあった。それでも僕は眠るのが怖かったから、映画を見続けた。

映画は良い。
見ている間は仕事の事だけ考えていればいい。そう仕事だ。僕が映画を撮るのは仕事だから、没頭するのは良いことだ。健康管理の面からは褒められたことではないけれど、仕事に熱心なのは悪いことじゃない。これは僕の仕事をより良くするための行為であって、決して逃避ではない。

映画は良い。映画は、映画は、映画は。
僕は映画が好きだった。映画は素晴らしい。映画は僕を裏切らない。僕から何も奪わない。僕から大切なものを取り上げることは無い。僕のせいで傷つくこともない。

そうして過ごしている間に、シダフミくんの背丈は僕を追い越した。
一緒に酒を飲むようになった。僕の方がずっと弱かった。いつかの打ち上げで酔い潰れた僕を抱えた背中からは微かに煙草の匂いがした。いよいよ彼が大人になったことを実感して、同時に僕は自分が大人になれていないことを思い知らされた。

シダフミくんは大人になった。そしてそれを見て気付いた。僕は大人として振舞おうとしているだけの子供だったらしい。ただ歳を重ねて、自分より年下の彼に向かって、大人の振りをしていただけだった。けれどそれに気が付いたところで、もうどうにもならない。

大人らしく僕のような奴に愛想を尽かしてくれないかと、そう思ったこともある。決して彼のことが負担になっていたんじゃない。ただ自分という存在に、彼の人生に関わる価値を見出せなくなっただけだ。でも彼はそんな事を言わない。彼は僕の傍にいたがった。僕と一緒にいたいと言って、その言葉に嘘偽りはなかった。彼は本当に僕のことを慕っていて、愛していて、だからこそ僕はその手を振り払う事ができなかった。

僕が映画の撮影を止めることはなかった。
夢の中で僕の足下に転がる死体は増え続けていた。
僕の体調はずっと悪いままで、シダフミくんは僕を無理やりにでも休ませようとして手を尽くしてくれた。僕はそれに甘えつつ、それでも映画を撮り続けた。

そして、今日が来た。
いつか来るとは思っていたけれど、今日だとは思っていなかった。だからシダフミくんとは普段と同じように会話をして、そしてそれぞれ少し離れた場所に立っていた。刺された後は何も言わずに倒れて、シダフミくんに抱き起こされてからも、何も言えなかった。何も言えなかったのは、きっと僕に与えられた罰だ。

うん。

そうだ。

本当はずっと、分かっていたんだ。
僕が「仕事」とか「復讐」とか言い換えていた行いは、罪深き行為に他ならない。
僕は人を殺した。数え切れないほどの人間を殺して、そしてそれを正当化しようとしていた。
許されざる行為だ。許されるはずがない。全ての人間は平等に、自由に生きる権利を与えられるべきだ。そこに例外などあってはならない。この国に根付いた思想は、きっと間違っている。

分かってた。分かってたんだよ、本当は。
でも許せなかったんだ。僕たちの生活が誰かの犠牲の上にあって、僕たちはただ生きているだけで罪深い存在だったとしても。それでも、あの日あの場所で母が殺されたことは、絶対に許せなかった。それを正しいことだと認めることは、決して許容できる事じゃなかった。

この世界は、明確に善と悪とで成り立っていない。
何かしらの基準によって分けられる事はあっても、それは明確な線引きではない。悪しき帝国に一矢報いたのは称えられるべき功績かもしれないが、幼い僕から母を奪ったのは間違いなく罪だ。そして僕がその怒りのままに復讐をした事も、また然りだ。

あぁ、馬鹿なことをしたなぁ。
結局、僕が撮りたかった映画は一本も撮れなかった。
僕が撮りたかったのはもっと綺麗で、夢にあふれた──母と一緒に手を取って、どこまでも駆けていくための世界だ。戦争とか、支配とか、そんな物はない世界だった、はずなのに。

もはや僕が願う事は、シダフミくんが僕のような生き方をしない事だけだ。
僕の事はもう、いい。映画がどう評価されようとも、のちの人々にどう言われようとも、構わない。ただこんな僕の傍にいてくれた彼が、僕のように愚かな終わりを迎えないでほしい。

だってシダフミくんは、本当に優しい人だから。
僕がろくでもない人間だって気付いていただろうに、僕を家族のように支えて、愛してくれたから。
僕がいなくなった後もきっと悲しんで、何日も何日も泣き続けてくれるだろうから。

だから彼には生きてほしい。
生きて、僕以外の人と出会って、そしてまた誰かに優しくしてあげてほしい。完全に僕の身勝手ではあるけれど、それができるだけの力は付けさせた。間違っても僕を追ってこないように、卑怯な小細工もいくつか。

大丈夫、大丈夫だよシダフミくん。
きみの生きる道はちゃんと整ってる。僕が踏み外したのとも少し違う、きみだけの道が。
だから安心して進んでいけばいい。そう言ってあげたかったけれど、声が出なかった。

だから僕は願うだけだ。
残り少ない時間で、彼の腕に抱かれながら。

どうか、どうか彼の未来が、幸福なものになりますように。
僕を愛してくれた彼が。僕が愛する彼が。

幸せになれますように。

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