「映画の外」

きみ亡くし
柱に縋って泣いていた
背比べの跡を搔きむしりながら


※この話は夢色地獄名義で小説家になろうにて連載している「Nightmare In The Moon」という小説の番外編として執筆したものです。
本編にはR18G相当の表現が多大に含まれているため、閲覧はお勧めしません。
本作「映画の外」に関しては全年齢向けとなります。また、本編を読んでいなくてもお楽しみいただけます。
というか、「映画の外」の登場人物はまだ誰も本編に出ていません。

この世が明確な善と悪で成り立っていないということは、幼少の頃から漠然と理解していた。

僕は東国境沿いの小さな町に帝国民として生まれ、物心が付く前から、その町で奴隷として働かされる者たちの姿を見ていた。
彼らは真っ当な衣服も与えられず、時には裸でいることを強要され、食事も、睡眠も、排泄さえも禁じられて、その許しを得るために働き続ける。本土の、特に都市部に住む人々には理解できないかもしれないが、こういう景色は国境が近付くほど当たり前に存在するものだった。

だがそんな遠く離れた地にも、都市部と同じような価値観と道徳観が存在する。
佐宿シダフミという役者を知っている者なら、何となく、僕がどういう生育環境にあったのかを想像できると思う。僕は立って歩けるようになった頃にはもう親からの関心を受ける事も無く、とはいえ分かりやすい暴力や迫害を受ける事も無く、ただ薄らとした悪意に包まれて生きていた。

そういう空気が肌に馴染まないと、本当に理解が及ばない話だろう。
何日も食事を与えられないとか、鬱憤晴らしに殴られるとか、そういう事じゃない。何故ならそれを受けるのは奴隷の役割だったから、わざわざそれを同じ帝国民である僕にはしない。ただその代わりに、同じ年ごろの子供たちには与えられる菓子が僕一人にだけ与えられないだの、常に街の誰かが「お前のこういう所が駄目なんだ」と言いながらニヤニヤと笑っているだの、そういう陰湿で醜い感情によって構成された社会の話だ。

ここまで話を聞くと、おそらく一定数は「それは佐宿羊歯踏という人間に問題があったからではないか」と感じる者もいるかもしれない。確かにその通りなのだが、しかしそれは僕にどうかできる類のものではなかった。
母の口から聞いた僕の問題というのは、「第一子として生まれたから」だった。曰く、第二子として生まれた母は第一子である兄に比べると優遇されずに育った過去がある。だから第一子として生まれ、そしてどことなく兄の面影がある僕のことが気に食わない。その思いは僕に妹が生まれるとより一層強くなって、それを露骨な態度として表していると、小さな町の人々も「シダフミの扱いはあれで良いんだ」と認識してそう振舞うようになった。そんな、僕にはどうしようもない、愚かとしか言いようのない話だ。

自分よりも三十歳も上の教師が、「シダフミにはあげなーい」と言っておどけて見せて、そしてそのまま手に持った菓子を本当に食べてしまう姿を想像できるだろうか。僕は周りの子供たちが配られた菓子を食べている姿をじっと見ているだけで、そうするとそれが気持ち悪いと騒がれて、皆に睨まれる。そういう子供時代を送ってきたのだ。

僕の精神上の筋金とはこういうものだ。僕が歩いて行ける範囲に僕を一人の人間として扱ってくれる者はどこにもいなかったし、一人でどこかへ行くこともできなかった。だから僕はせめて人々と関わらないようにしようと努めて、またできるだけ早くこの町を出て行けるようにと勉強に励んだ。学校の図書室にある本は誇張無く殆どに目を通したし、テレビやラジオで放映される知識も、分野を問わず全て吸収しようと躍起になった。

周りの子供たちがただ時の流れを願うだけの防衛講習も、僕だけは真剣に取り組んで頭に叩き込んだ。もちろんその間も稚拙な嫌がらせや嘲笑に晒されたが、それでも僕は必死になって、自分の道を切り開こうと努力を続けた。

そんな僕に投げ掛けられた言葉はいくつもあるが、最も忘れられないのは、13歳になってアルバイトを始めたときの物だ。
奴隷の配給が潤沢に行き届いている町で、子供が稼ぎ口を見つけるのは困難を極めた。権利や社会道徳によって守られた子供を雇ってリスクを負うくらいなら、奴隷を働かせておく方がずっと良いからだ。ましてや名前そのものが蔑称のように扱われている「シダフミ」なんて雇っても、雇い主の品位を疑われるだけだった。だから僕は毎日のように不採用の旨を言い渡されて、その末にようやく、夜間の奴隷宿舎見回りの仕事を得た。

そうすると次の日には教師に呼び出されて、力いっぱいに頬を殴られた。理由は簡単で、校則で禁じられたアルバイトを、しかも深夜帯に家を出てまで行ったからだった。当時の僕はもはや制服や教科書を買う金すら惜しまれて、持参する昼食さえ困る生活を送っていたが──そんな事、彼にとっては考慮に値しなかったのだろう。僕はただ学生としての品格を説かれて、不良少年のように見下されて、教室に入ることを禁じられた。

僕はその時に「世の中には金がよりも大切なものがある」と言われて、そしてそれを何十回も作文用紙に書き連ねて提出させられた。この頃になると僕はもう町の人間がみんな異常者であることに気付いていて、そんな中の一人がこの言葉を口にするのがおかしくて堪らなかった。
だから一人になった時に作文用紙を見て笑って、そしてその後、少しだけ涙を流した。

僕が14歳になって少し経ったある日、町に旅人がやってきた。
劇的に明かす必要もないので書いておく。それが保鹿監督だった。その時はまだ駆け出しの新人で、日々の半分は他の監督の現場を手伝いながら勉強している立場だったらしい。そんな中で時間と金を捻出して、本土から遥か離れた町まで奴隷宿舎を見に来たのだった。

都会から来た人は洗練された印象がある、とは誰かが言ったことだったが、僕も全くその通りだと思った。保鹿監督はその頃まだ20代の半ばで、服装も旅に向いた軽装だったが、それでも町の人々とは立つ舞台が違うような風格があった。今にして思えば、眼鏡一つ取っても町で売られているものよりずっと高級なものだったんだろう。それで誰にでも綻ぶように笑う性格であったから、彼はたちまちのうちに人気者となった。

彼が僕に声を掛けたのは、彼がそういう人で、僕がそういう人だったからだろう。
僕はその時になってもまだ、奴隷宿舎の見回りとして働いていた。学校からはいくらか苦情が入ったのだろうし、僕も頻繁に呼び出しを喰らっては「アルバイトを辞めろ」と圧を掛けられていたが、それでもこれが一番いいからという理由で雇用関係は続いていた。だから保鹿監督が見学に来た時も、僕はその日の夜勤に備えて準備をしていた。

まだ交代まで時間があるのなら、一緒に食事をしようと誘ったのは保鹿監督の方だ。僕はすぐそれに応じた。その頃にはもう両親は「働いているんだから食わせる必要は無いだろう」という態度で、一食奢ってもらえるというのなら、拒む理由はない。入ったことのない店が並ぶ通りを案内しながら、保鹿監督と肩を並べて歩いた。

その時もやはり町の人々は僕に色々な言葉を投げ掛けて、途中で立ち寄った店の人も、保鹿監督が僕を連れていることに眉根を寄せていた。
特に印象に残ったのは、雑貨屋の店主と話していたことだった。レストランを探す道中で民芸品の並ぶ店を見掛けて、興味を示した保鹿監督が中へ入ると、店主が僕の姿を確認してから「シダフミには売らないよ」と言った。
すると保鹿監督は怪訝な顔をして、どういう事かと店主に尋ねる。けれど店主は答えられなかった。町中の者が何となく、そういう空気だからという理由でそうしていたのだから無理はない。だから彼はニヤニヤと笑って、「いやあ」とか「ね?」とか、曖昧な言葉を返すばかりだった。

けれど保鹿監督はそれを許さず、言語化した答えを求めた。一歩離れた場所に立っていた僕を引き寄せて、「どうして佐宿羊歯踏にそういう態度を取るのか」と、店の外にも聞こえそうな声量ではっきりと問いかけた。すると店主は途端に慌て出して、「出て行ってくれ」と連呼するだけの人形のようになって、ひたすらに回答を拒み続けたのだった。

僕はその間、何も言えなかった。
どんな扱いを受けていても、僕もやはりその町の人間だったからだ。佐宿羊歯踏という人間がそういう扱いを受けているのを当たり前に思って、言語化した答えを返せと言われると、何も返せない。その事実を思い知って、結局自分もあいつらと同じなんだということに絶望して、僕は珍しく人前で涙を流した。

保鹿監督は結局レストランで食事するのを諦めて、僕を連れて町で一番大きい公園に向かった。そしてそこで屋台のホットドッグとジュースを買って、ベンチに座って二人で食べた。

馬鹿みたいな町だな、と彼は言った。人を殴ったこともなさそうな、言い争いすらしたことのなさそうな顔で、そう吐き捨てた。少し遠くを歩いていくカップルだとか親子連れだとかを冷めた目で見つめて、不機嫌そうに脚を組むと、確かにそう吐き捨てたのだった。

綺麗だと思った。
僕は本当に、たった今自分が涙を流した理由さえ忘れて、心からそう思った。保鹿監督はそれまでもそれからも少し頼りない印象の優男だ。けれどあの町に蔓延していたような稚拙な悪意に対しては、毅然とした態度で向き合って、そしてそれを嫌悪すべきものだと吐き捨てることができる人だ。その時はまだ明確に言語化できていなかったが、僕は確かに、彼のそういうところを美しいと感じたのだった。

それから僕は、僕の仕事の時間が来るまで保鹿監督の話を聞いた。
彼がその後監督した映画は、一つ一つの題名を並べるまでも無いだろう。それなりに人を選ぶが、けれど確固たる主張を持って、帝国の威光と敵対諸国の愚かしさを伝える作品だ。僕はそんな作品たちが生まれる前の、まだどろりとした卵のような状態を語り聞かされて、想像もできない彼の将来に思いを寄せた。

隣国からの侵攻があったのは、それから二日後のことだった。
僕と保鹿監督は公園で話したきり予定が合わなくて、そしてそのまま侵攻に巻き込まれた。その時間帯はまだどの学校でも授業をしていて、僕たち生徒は防衛講習を思い出しながら避難施設へと逃げなければならなかった。最も、訓練で学んだことを忠実に再現していたのは僕だけで、他に生き残った者たちは持ち合わせた体力と幸運を頼みに、ただ闇雲に逃げ惑っていただけだったが。

しかしそうして避難施設に辿り着いても、結局はそこも占領されてしまったのだから意味は無かった。避難民の多くはその際に負傷して、隣国の兵士たちはその中から誰を捕虜にするのかを選別していた。
帝国の民としては苦渋の決断になるが、ここで捕虜にすらなれなければ、野垂れ死ぬか、煩いからと始末されるだけだった。だから皆が口を揃えて「自分は健康だ、決して足を引っ張らない」と訴えていた。

保鹿監督と再会したのは、あと少ししたら最終の選別が行われるという頃だった。
広場の中央で群がるようにして敵兵に縋る人々から少し離れて、彼は地面に横たわっていた。泥と埃に塗れても少し気品の残った服が見えて、もしやと近付いたら彼だった。慌てて駆け寄って抱き起こすと、彼は何度も咳き込み続けて、それから掠れた声で持病の咳が出ているのだと言った。

極度の緊張と粉塵によるものだった。薬を吸引すれば落ち着くだろうが、避難してくる間に鞄ごと失くしてしまって、手元にはもう無い。このままいけば間違いなく捕虜にはなれず始末されるだろう。保鹿監督は絶え絶えになりつつもそう話して、だからもう構わずに行けと促した。
けれど僕は嫌だと言って譲らなかった。その時、保鹿監督にとっては僕なんて大した存在ではなかっただろうが、僕にとっての保鹿監督はもう、その場にいる全員を殺してでも助けたいと思うほどの相手になっていた。

それに僕は知っていた。
彼が探している薬は僕の家にあって、僕の家は避難施設からほんの数分歩いたところに位置する。だからそれさえ取ってくれば、保鹿監督は捕虜になれるかもしれない。そう言うと彼は泣きそうな顔で首を横に振って、それから息苦しそうな声で「きみがそんな危険を冒す必要はない」と繰り返した。

けれど僕は引き下がれなかった。
どうしても、この人を助けたかった。

だから僕は「もし生きて本土に帰ることができたら、その時は自分に良い暮らしをさせてくれ」とだけ言ってその場を抜け出した。保鹿監督はやはり僕を引き留めようとしたが、咳き込んで弱った手を振り払って、暗くなった町へ出た。

実際、僕には養い手が必要だった。
捕虜になって、そして帝国軍によって救出されたとしても、僕は学歴もない無一文で、数年もすれば何の足掛かりもない社会に放り出される。その日食べるのもやっとの状態で、どうやって良い職に就けるだろうか。苦労しながらでも何とか生きていければまだ良いが、それすらも怪しいのが今の世の中だ。それならこの局面で危険を冒してでも、彼の元で食い扶持を確保する方が賢明な判断だった。

だから走った。
隣国の兵士たちは国軍として集められた精鋭ではなく、帝国の体制に反抗的な地方勢力が集まっているだけの烏合の衆だ。だから周囲を見回っている中にも隙があって、僕はその間を縫うようにして家を目指した。気配の消し方はそれまでの生活で培われたもので、それ以外は全部独学によるものだった。道中では何人か隠れていたところを捕まった人々がいたが、僕はその騒ぎの陰に隠れて、洗面台の棚から、妹が使うはずだった薬を取って戻った。

戻った後は、避難所の広場を端から端まで横切らなければならなかった。
僕は薬をできるだけ隠して歩いたが、ポケットのない服を着ていたから、完全に見つからないようにするのは無理だった。僕が薬を持っているのに勘付いた男が倒れたまま脚を掴んできて、それを寄越せと言ってきた。

男は僕が通っている学校の教員だった。
僕がアルバイトを始めた時に顔を殴った、あの男だ。「世の中には金がよりも大切なものがある」と言っていた、あの。
彼は体のあちこちから血を流し、僕の足を掴んだ腕は酷い火傷があって、もう一方の腕で小さな女の子を抱いていた。いつかの授業で娘がいると言っていたから、多分それが彼女だったのだろう。彼自身はもう助からないように見えたが、娘の方は、薬さえあれば捕虜に選ばれるかもしれない。そういう状況だった。

僕の名前を呼んだからには、僕が誰であるのかを分かっていたのだろう。思い返せば思い返すほど理解に苦しむが、彼は僕が彼のことを師として敬っていると本気で信じていた。僕にとってはただ校則だとか評定だとかの理由で殴りつけてくるだけの男でしかなかったのに、彼にとっては、それが「金よりも大切なもの」によって行われたものという事になっていた。だから当然のように、彼の娘を救って支えてくれと頼んできた。

吐き気がした。
本当に本当に、悍ましくて堪らなかった。僕は佐宿羊歯踏だというのに、「いやあ」とか「ね?」の言葉だけで冷遇されるべき存在だというのに、どうしてこんな時ばかり、今まで微塵も与えられなかったものがさもあるかのように振舞えるのか。妙な騒ぎを起こしてはいけない、という意識が無ければ、きっとその手を踏みつけて、そして彼と同じ顔をした娘も蹴り飛ばしていただろう。けれど僕はその気持ちを押し込めて、ただ黙って頭を縦に動かした。

すると彼は安心したように笑って、そしてそのまま動かなくなった。だからそのまま捨て置いて、僕は保鹿監督の元へ戻った。

僕はとんでもない悪人だ、と保鹿監督は言った。どこか自嘲的で、心の底から悔いているような声色だった。それでも僕から薬を受け取ると、ようやく落ち着き始めた息を整えて、それから僕を強く抱きしめた。

そうして僕たちは捕虜に選ばれて、それから鎮圧に来た帝国軍によって保護され、本土へ移送された。
町の人々は殆ど助からなかった。何人かは捕虜に選ばれようとしていたが、僕と保鹿監督が選ばれたことに不服を申し立てて、それが原因で始末された。切っ掛けは誰かが「シダフミを選ぶくらいなら自分を」と言い出したことで、それを皮切りに皆が「シダフミを選ぶな」「よそ者を選ぶな」と連呼し始めた。兵士たちにとっては厄介でしかなかったのだろう。結局、僕と保鹿監督以外を黙らせることで事態を収めようとした。

それが、あの日あの町で起きたことだ。
誰も信じないかもしれないけれど、あの町はそういう場所で、そういう終わり方を迎えた。
僕はその事について、何も悲しいとは思わない。

それからの僕は、おそらく皆が知る僕とそんなに変わらない。
保鹿監督は保鹿監督として着実に実績を重ねて、僕は佐宿シダフミとして彼の作品に何度か出演した。俳優として、あるいは助手として働きながら同じ家に暮らして、家事の手伝いなんかもしながら帝国本土での日々を過ごした。

僕は町にいた時よりも良い服を着て、質の良い物を好きなだけ食べられるようになった。
用事の無い時は家にあるビデオで映画を見て、途中で猫がイタズラしてきたらその相手をする。誰も僕のことを邪険にしなかったし、したとしても、周りの者が咎める環境になっていた。保鹿監督は確かに約束を守って、僕に良い暮らしをさせてくれた。

僕はよく冷淡だとか不満そうだとか言われて、それを面白がられる傾向にあるが、そうでもない。
単に演技でなく笑ったり喜んでみせるのが苦手なだけで、実際はそれなりに楽しんでいる。甘いものだって好きだ。保鹿監督はその辺りをよく理解してくれていて、何か催しものがあれば僕を連れ出してくれた。あの人も色々と言われることがあるが、実際のところはそういう人だった。

そう、本当にそういう人だった。
だから彼が撮影中の路上で刺されてそのまま息を引き取るだなんて、僕は想像してもいなかった。

考えてみれば当然のことだった。
保鹿監督の映画は帝国の威光を世界に知らしめるためのもので、国外からは、それは「侵略」だと言われてきた。事実、そういう側面があったのは間違いない。彼は侵略者としての立場を自覚していて、その意味と向き合いながら作品を世に送り出していた。僕ももちろんそれは理解したつもりだったが、でも、それ以上に彼と過ごした穏やかな日々の温もりが、僕の心を離さなかった。

だってあの人は、撮影中に険しい顔をしながら画面に向き合っていても、ふと顔を上げて僕の姿を見つけると、綻ぶように笑うから。
出掛けた先で新しいお菓子が発売されていたら、必ず二つ買ってくる人だったから。
朝は僕が布団から引っ張り出さないと起きられない人だったから。
そんな人だったから、僕たちの日々はずっといつまでも続いて、そしていつか穏やかに終わっていくのだと思っていた。
だから忘れていた。あの人を憎む人間は世界中にいて、それがいつ観光客の振りをしてこの国に入り込んで、何食わぬ顔をして彼を殺すのか分からないということを。

僕はその時、何が起こったのか分からなかった。
ただ少し離れた場所で悲鳴が上がって、そっちを見たら、誰かが地面に倒れていて、それが保鹿監督だった。

あ、とかその程度の声しか出なかった。
ただあの日避難所に転がっていた姿と同じだったから、すぐに駆け寄って、抱き起こして……けれどそこからは、何もできなかった。

僕は何も言えなかったし、あの人も何も言わなかった。ただ苦しそうに息をして、それが段々弱くなって、身体から力が抜けていって、そのままだった。
だから最後の言葉とか、そういうのは無い。今日の撮影が終わったら期間限定のハンバーガーを食べに行こうと話して、それが最後になった。猫をどうするとか、そういう話も一切ない。

でも別に、それで困ることは無かった。
あの人は住んでいる家を最初から僕の名義にしていたし、僕の口座には当面生きていけるだけの資金がしっかりと残っていて、本土に来てからいくつも資格を取っていたから、俳優や現場手伝い以外にも働き口は選べるほどあった。多分いつかこうなることを分かっていたのだろう。普段は意識していなかったのに、あの人がいなくなってから急に機能し始めるものがたくさんあった。猫の餌のやり方を知りたくて開いたノートに税金の払い方が記載されていた時は、その場に座り込んでしまった。

僕はもうその時、初めて会った時の保鹿監督よりも大人になっていた。
背丈も伸びたし、酒も飲むし、煙草も吸う。でも、ただそれだけだ。

もしあの人が僕をただの雑用程度に考えてくれていたら、どんなに楽だっただろう。
ただ身の回りの世話だの現場手伝いだのをさせて、それに対する給金を出す程度で良かったんだ。あの町での暮らしに比べたら、それだけでいい暮らしだったんだから。その程度で良かった。それで俺は満足したし、欲を出すことなんてきっとなかった。それだけだったらきっと、あの人がいなくなっても割り切って、さっさと次の働き口を探して街に出るだけだったのに。

それなのに今となってはもう、何をするにしてもそれを教えてくれたあの人のことを思い出してしまって、どうにもならない。
急に伸び始めた俺の背丈を書き記した柱も、成人した時に買ってもらったやたら高級な腕時計も、一緒に見に行った映画の半券を保管しているファイルも、そういうものが無ければ、こんなに苦しい思いはしなかったのに。

俺が泣いているといつも猫が寄ってくる。あの人が何かにつけて俺とこいつを引き合わせたからだ。俺は別に好きでもないのに、いつもいつも付き纏うように仕向けて、こうして今もそうさせてる。こいつがいるから、後も追えない。

ふざけるな。ふざけるんじゃねぇ。
こんな事するくらいなら、最初から与えるな。

別に良かったんだよ、本土に帰ってハイさようならって放り出しても。
俺がいつまでも追い回す奴じゃないって分かってただろ。あぁまたかって諦める奴だって、知ってただろ。
なのになんでお前はそうしなかった。どうして最後までそうしなかった。
良かったんだよ。あんたの良心が収まるくらいの金でも握らせてくれれば。俺を家族にしてくれる必要なんて、なかったんだよ。

どうして俺を一人にするんだよ。俺は代わりに刺されて死んでも良かったのに。
なんでこんなに、俺一人が生きていくための道が整ってるんだ。どうしてこのまま野垂れ死にさせてくれないんだ。
どうして、どうして、どうして……。

俺は結局、そうやっていつまでも泣き続けて、猫はそんな俺を不思議そうに見上げている。
でも、そういう事を何度やっても、エンドロールは流れない。
これは俺の人生だから。映画ではないから。この先もずっと、嫌になるくらい続いて、きっと締まりのない終わり方をする。
映画みたいな死に方をしたあの人が語った人生観は、多分きっと間違ってない。

この世界には明確な善も悪もない。
ただ誰か悪い奴を倒したらそれで終わり、なんてことは起こらない。
その後もずっといつまでも続いて、そこで何かを得て、失った後もまだまだ続く。

あぁ、苦しいなぁ。苦しくて苦しくてたまらないなぁ。
でもきっと、あの人もこうして生きて、そしてその先に足を運んだのがあの町だったんだろう。そしてそこで出会った俺のことを、自分の最後が来るまで面倒見ようとしたのかもしれない。

だってあの人、本当に優しかったから。
どんなに腹が立つことがあっても、絶対に俺に八つ当たりなんてしなかったから。だからあの人がいなくなった今でも、あの人のことを嫌いになれないし、憎むこともできない。

そんな風に、俺はいつまでもいつまでも、苦しみ続けるのだろう。
それで苦しみ続けた先で、誰かに出会うのかもしれない。そしてその人と寄り添いながら生きるのかもしれない。多分あの人は、俺がそうであるように願いを託して、色々なものを残した。そういう人だったから。

きっとこれから、多分一生、俺はあの人のことを思い出して泣く。
でも、進むのをやめることは無いんだろう。それがあの人の望んだことで、俺がやりたいことだから。

だからせめてもう少しだけ、時間が欲しい。
あの人を想って泣く時間を、どうか許して欲しい。
俺はいつかあの人に貰ったものを、誰かに与えられる人になりたいから。

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