創作における自然な台詞について 3.西尾維新

何年か前に「続きます」と書いて、続きを書いてたつもりだったものが何故かなかったので、思い出しながら書きます。

一回目 「創作における自然な台詞について 1.別宮貞徳」
https://note.com/kuroinusha/n/n95267d4f218c

二回目 「創作における自然な台詞について 2.平田オリザ」
https://note.com/kuroinusha/n/n3ac934554314


西尾維新は、(多分説明しなくても良い気もしますが)物語シリーズ、刀語りシリーズをはじめ、多くのヒット作を生んだラノベ作家です。

もうどれくらい前かわかりませんが、友達に「この人すごいよ」と「クビキリサイクル(氏のデビュー作)」を見せてもらいました。
(化物語がはじまる前の話です)
自分は、どちらかというと小説にはあまり、なんというか漫画的なものを求めないタイプだったので「うーん読まないんじゃないかなあ」とか答えた気がします。

が、後日、何かのついでに自分で「クビキリサイクル」を買って、まあ買ったので、という感じで読みました。


ライトノベルは、作品にもよりますが「似たような年齢でかつ、ある程度以上魅力的な前提のキャラクター」が沢山出てきます。
なので、普通の小説以上に、読みやすい様に特徴的な口調や口癖にする必要があります。

そして以前書いた、一回目、二回目の「自然なセリフ」noteを読んだ方はなんとなくわかるかもと思いますが、自分的にそもそも「変な口癖のキャラクター」は「や、そういうんじゃないんだよね」という類のものだったのです。

そのころ、平田オリザ氏の「自然な台詞」の考え方について、こんなすごい人がいる、と先輩の作家さんに話した事がありました。その人は納得する感じでありつつも、半ば独り言のように「問題はそれで面白いかどうかなんだよな…」といって。
自分の中では「自然な台詞をやりとりする面白さ」に興味がいっているので、「いや面白いじゃないですか」とかいったと思います。

台詞をディフォルメしたり、説明台詞を入れてテンポをよくして面白さをわかりやすくしたり、…という方向に全く興味がいってなかったんですね。
興味がないというか、むしろ「(自分の漫画は)現実で言わないような口調の台詞が入るとつまらなくなる」くらいの感覚がありました。


だったのですが。
西尾維新作品を読んで、完全に考えが変わったのです。
ちょろい

例えるなら、漫画のディフォルメの線が気持ちいいのと同じような感じで、西尾維新氏のキャラクターのディフォルメされた喋りがとても気持ちよかったんですね。

これは衝撃でした。

西尾維新氏(だけじゃないですけど)は、小説家だけあって言葉へのこだわりが凄まじくて、そのこだわりから出来た「遊び」が面白く魅力的で驚きがあって。
そして、自然でした。

そう、実際キャラ付けはやりすぎなのはやりすぎなんですけど、同時に「自然」と思ったのです。

それは、まず全体のバランス、そして演出を含めた感情の乗っかり方、等々構成から、広い語彙から生まれる音、意味、説得力のある言葉の選択、によってなんだろうなと思います。
同時に、こちらの感情、「絶対こう言ってほしい(あるいは、絶対言わないでほしい)」という、読み手の自分の中の思いとのバランスでもあって。

セリフに気持ちいい必然性があるので、喋り方がどんなにおかしくても
「まあそう言うよね」
と素直に読める。

自分の中でBC/ADみたいに「西尾維新以前、西尾維新以降」の線引きがあって、セリフへの考え方が、西尾維新作品読後完全に変わりました。

そこで、以前の先輩の「問題は面白いかどうか」を思い出して、「確かに」と、何年かごしに思いました。


こういう、「客観的な面白さにつながらないこだわり」問題は、作家あるあるだとおもいます。
こだわりを客観的な面白さに繋げる、というのは実際難しいけれど、それが出来る作家さんがヒットに繋がるのかなと。(まあ他にも、運も含めた色々な要素があると思いますが…)

特に自分は、こだわるべき所をこだわらずに自分がこだわりたい所ばかり意識がいく傾向が強いので、この気づきはよかったと思います。

もう一回だけ続きます。


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