創作における自然な台詞について 2.平田オリザ
平田オリザ氏は、演劇の演出や脚本などを手掛けている方です。最近では原作の「幕が上がる」が、映画化されました。
氏の本で、こういう話がありました。
場所、お茶の間。人物、銀行員の父とその家族。
いわく、こういった例でつい、「銀行員であるという説明を、不自然に入れてしまう」場合があると。確かに、家族間の会話では、いちいち「パパの○○銀行は」というより、「会社は〜」、あるいは主語を無くして「どうなの?」くらいが自然に思えます。
「物語の冒頭の台詞」として、こういう説明を含んだものはよくあります。特に演劇では、台詞で説明をしないといけない事柄が多いかもしれません。
じゃあどうすれば自然に説明できるのか、いくつかの解決策も提示しています。
1、「他者を登場させる」。例として、娘の恋人が来ている、など。確かに、その状況であれば職業について言及するのは、不自然ではないでしょう。
これは一見良い解決に見えるのですが、個人的に、根本的な問題があると思います。話が変わっているのです。変えてよくなる場合もありますが、自然であろうとする為に毎回話の筋を変える訳にはいきません。(なので、慣れた作家さんはあらかじめ、自然に説明できるような設定、状況を前提に考える事が多い様に思います)
2、「背景で何か事件、イベントが起きている」。上の例でいえば、「銀行合併の話が持ち上がった」など。
これなら人物構成を変えずに済みます。話の流れがそちらに行ってしまう、というおそれはありますが、人物を増やすよりはコントロールしやすいと思います。
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自分はこの頃はすでに、仕事で月に一本程度漫画を描いていて、かつ短編が多い作風であったので、これは実感としてよくわかる、かなり現実的な問題でした。実際、不自然な説明台詞、もしくは「これ律儀に読む人いるのかな」というモノローグを回避するために、かなり苦労をしていたのです。
なので私のなかでも、問題意識としてははっきりしていたのですが、氏の話は自分とは違う視点でかつ、例としても非常にわかりやすく、すごく「なるほど」感がありました。
ちなみに自分は(というか多くの方が最初にやる事だと思いますが)、
3、「そういう話をしてもおかしくないキャラクター設定にする」事が多かったです。
例でいえば、母親がおしゃべりで、同じ話を何度もする。子供が反抗期で、父親の仕事に批判的である、など。いわゆる、ワトソン役をあてはめるというのも、これに含まれます。
これはこれで正解だと思いますが、オリザ氏はあまり、この方向の解決は提示していない気がします。おそらく、氏がとりくんでいる「対話・会話・自然」問題の解決にはならないからだろうと思います。
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cakesに、インタビュー記事があるようです。軽く人となりがわかると思います。
平田オリザ「演劇といえば芝居がかったセリフを叫ぶもの、ではない。」
プリンストン大学のサイトに、おそらく氏の特別講演の時に使われた論考があります。日本語のPDFで、上の例もふくめて色々な話が比較的短くまとまっているので、気になった方はお読みください。
「劇作家として自然な日本語とは何か?」
http://www.princeton.edu/pjpf/pdf/15%20Hirata.pdf
続きます。
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