創作における自然な台詞について 1.別宮貞徳

台詞回しについて、私の考え方に影響をいただいた人達を、何回かにわけて書きます。

別宮貞徳、という人をご存知でしょうか。

翻訳者であり、また翻訳そのものについて、の本も多く書いています。

私が氏の本を読み始めたのは、その後に、自分が仕事で漫画を描く、とは考えていない頃でした(自分はそもそも漫画家志望ではなかった)。単に面白くて読んでいたのですが、主に台詞まわしについて、基礎的な事をこの人の本で学んだと思います。

中でも分かりやすい例として、「翻訳者でしばし見る、女性の台詞の語尾が全部同じになる病気」の話がありました。年齢職業性格の違いを考慮せずに、「〜だわ、〜よ」さえつければ女言葉になる、と考えている人がいて、半ば機械的に変換しているものだから日本語としてもおかしくなる、…という様な説明でした。

確かにそういう文章は(特に翻訳では)ちらほら見ます。

そもそも、現実でもそれほど「〜だわ、〜よ」という喋り自体、多くは聞かない事に、そこではじめて気づきました。

これがきっかけで、男女年齢とわず、「実際の話言葉」に意識的に耳を傾ける様になったのですが、ほどなく、男女に限らず、子供言葉(僕○○なんだ!)や、老人言葉(わしゃ○○でのう)、などなど様々な自分の先入観に気づきました。話し方は人それぞれ結構バラバラで、でもそれでいてその人なりの子供らしさ、老人らしさというのは歴然とあって、そこにその人の魅力も出ている。

個性、キャラクターとは、こういう事なんじゃないか。今まで自分が個性と思っていたものは、属性、記号的なパターンだったのかもしれない。

今聞いてる言葉は、テンプレートなのか、その人の内側から出たものなのか。

この時の気づきは、基礎の基礎として、後にシナリオや漫画を描くときにとても役に立ちました。

と同時に、微妙に弊害もあったのですが、その話は追って書きたいと思います。

(続く)


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