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コトノホカの油淋鶏



むかし、「醬油って書ける?」「薔薇って書ける?」が流行った。


書けると、もれなく見目麗しい視線が向けられ、なんなら惚れ薬をのんでしまったかのようにうっとりした。

しかし、今となってはこれらの漢字は見ながらだったとしても書けそうにない。

スマホで「か」と指で押さえただけで「漢字の」というようにすぐに予測変換される。

この文明の力の便利さよ。慣れとは、こわいもので相当数の漢字が脳内から消滅して久しい。

手紙だって、メール、LINEに置き代わり、何なら音声入力もあり、手書きすることがなくなった。

それは忘却の彼方へ追いやられただけなのか、単に老化現象による物忘れがひどくなったのかはわからない。

AIに押され気味になりながら、時に予測変換されないと慌てて人に尋ねる。

この前も「郊外」が合っているのわからず、
とんちゃん(夫)に『「郊外」って漢字でどうやって書くっけ?』と訊いた。

とんちゃんは、ゆびで空中で描きながら「交通の「コウ」(Xのジェスチャー)を・・・」

「ひだりに・・・書いて、ちゅるちゅるって~」ちゅるちゅる部分だけナゾ高音。

「いまの、いまの、ちゅるちゅるって、ちゅるちゅるってナニぃ?」(笑すぎてハナ出た)

今度は右側ちゅるちゅるの部首名がわからなかった。(ちなみに※ 「⻖」オオザトへんというらしい)

こんなありさまだから、漢字はわたしの中で絶滅危惧種になるんじゃないかという一抹の不安と寂しさが入り混じる。

だが、なぜか漢字の麻婆豆腐と油淋鶏は自信満々で書ける。


書ける、書けるけれども・・・


さっきから、ユーリンチー、ヨウリンジーって何度もカタカナ入力でキーボードを叩いているのだが、変換されずにとうとう要リンジーになってあきらめた。


「ね、とんちゃん、油淋鶏って、ユーリンチーだよね? あ…ちなみにとんちゃん、ユーリンチーは漢字、書ける?」


「書けるよっ。油そばのあぶらに淋病のリンにとり肉のむずかしいほうの鶏」
とナゾのドヤ顔。

たとえ漢字が書けなくとも、説明のセンスは重要だなと、ことのほか感じた次第である。

ちなみに『ことのほか』は、『殊の外(コトノホカ)』と漢字で書くそうだ。【※予想外だ。意外だ。の意味】

カタカナにすると殊の外は、コトノホカほんわかとしてかわいい。


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