文芸春秋掲載記事について

文芸春秋 2023年10月号
東 浩紀 問題作「オッペンハイマー」を見て来た
―「原爆の父」を描いたハリウッド大作はなぜ日本公開“未定”なのか
 
『日本の国の不思議さはこの種のテーマによく現れる気がする。
この映画は原爆の開発過程を詳しく描く一方で、被爆国の日本の現状や被爆者の悲惨さは台詞で言及されるのみとのこと。これに対し日本の言い分は問題意識に欠けるという批判はあり得るかもしれない』と東氏は言う。
『この映画の監督は鬼才のクリストファー・ノーラン。彼はオッペンハイマーを英雄視しているわけでなく、彼の人となりを等身大で表現している』、東氏はこの映画は「反戦・反核映画」だと評する。
この記事の注目点は東氏が「なぜ日本では公開されないのか」の理由を日本特有の歴史理解にあると示唆しているところだと思う。
ドイツ在住50年、ドイツの公立中等教育機関で20年間教鞭をとってきた私はナチスドイツが教科にどのように取り上げられているか興味深くみていた。小学5年生から高校3年生までの一環教育をギムナジウムと言うが、このギムナジウムでは卒業まで3回はナチスドイツに関して取り上げられる。単なる歴史的事実として、上級生になるとプロパガンダに翻弄されたドイツ国民の実態、そしてそれに対抗するために何ができたか論議する。日本の学校で一度でも第2次世界大戦について学んだことがあっただろうか。
大学卒業後、英国ケンブリッジにある全寮制の新学校で一年間学んだ時のこと。マレーシアからきた留学生が「僕たちはマレー作戦の日本の攻撃や捕虜への仕打ちを学校で学んだけど、日本を憎んでいない」と日本人と知った私に語りかけられた時に、一体何のことを言っているのかわからなかった。日本が攻め込んだアジアの国々の歴史に無知な自分がいた。
 
あるドイツ人の友人が「ドイツ人というだけで、ふたことめにはナチを取り上げられることに肩身が狭いし、拭えない罪悪感に襲われる」と悲しそうに語っていた。確かにベルギーやオランダにドイツナンバーをつけた車で走っていると、罵声を浴びさせられたことがあった。ドイツ人は
負の遺産をかかえることを課している。その度に「日本はどうか」と自問する。
 
掲載記事にもどろう。
筆者の東氏はワシントンに滞在中に博物館や記念碑を観て回って、特にこの40年間に集中して記念碑・記念塔・歴史博物館が建てられたことに言及している。さらにアメリカだけの現象にとどまらず1970年以降特に冷戦崩壊以降、世界中が近現代史の「語り直し」を進めてきたという。言わば、歴史の見直し、訂正が起こっていると。同じ動きは東アジアでもあり、韓国では2015年に国立日帝矯正動員歴史館が、中国でも旧日本陸軍の731部隊を扱った博物館が拡張して建てられている。東氏は『中韓のそのようなふごきは日本では反日教育という文脈で捉えられがちだが、本質は「記憶の政治」というもっとも大きなトレンド』だという。全世界的に20世紀の歴史、金現代史の語り直しが行われている。『日本がこの潮流から大きく取り残されているのではないかという懸念を強く感じた』と綴っている。
日本は「過去は反省するか忘れるかどっちかで、語り直せていないと指摘する。
『改革とは過去を否定しすべてをリセットすることではありません。むしろ過去を引き受け、前に進むことです。間違えた過去があれば、それも飲み込んで前に進む。そのために国の原点に立ち戻る。そういうダイナミズムが必要です』と語る。さらに『オッペンハイマーは間違う人間を描いた映画でした。間違いを犯した人物をキャンセルするのではなく、訂正して未来に繋ぐ。そういう力が今の日本には必要です。本作を炎上を怖れ未公開にしているようでは、日本はますます世界から取り残されてしまう。』
 この映画をみてはいないが東氏の言葉に同感である。   (2023年10月9日記)


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