文藝春秋掲載記事          「ムーンサルトは寝て待て」― 内館牧子

「日本語の今」を考える


 
「日本語が乱れている」と最近違和感を募らせてきたが、海外生活が長いために自分の日本語も危ういと返って指摘されるのではと恐れていた。
この度、脚本家の内舘牧子さんがこのテーマに触れた記事が掲載された。
内館さんは
―昨今のイヤな言い方を考えると、傾向が見えてくる。重要なこととして、「自分はへりくだること」「まずは他者を尊ぶこと」「他者にあわせること」があるように思う。周囲が「そうしなさい」と言っているわけではない。だがそうしないと自分だけ浮いたり、失礼な人に思われそうだ。―
という背景があるのではないかと指摘する。
その具体例として「様」「さん」のつけ方があるという。
具体例:管理職が自社の会社の「従業員さん
    ホテルの支配人「どこのホテルも人で不足」
    政治関係者が「政治家さん
    書籍を出した人「○○出版社から上梓させていただきました。」
    起業したひと「メディアさんに取り上げていただき。」
私個人が違和感を感じていたのは医者の「患者さま」という表現。
 
根っこは社会の「同調圧力」でそれに忖度した結果が「乱れ」や「イヤな言い方」をもたらしたのではないかと内館さんは指摘する。
 
外国人に日本語を教える時に最も導入に苦労するのが「尊敬語」「謙譲語」の決まりと使い方なのだが、ある時から日本における日本語の尊敬語・謙譲語が揺れたように思う。
その原因(きっかけ)は二つ考えられる。ひとつは東京オリンピック開催の決定が発表され、そこで「お・も・て・な・し」と日本の対応をメディア上で語ったこと。そしてもう一つの原因は日本に異常な「お笑い」ブーム。
そもそも「おもてなし」とは何なのか議論・考察されることなく、「親切で礼儀正しい日本人」が強調された感がある。一方、笑いは人を癒したり、慰めたりすること、人に元気を届けるものとしてあるときからお笑い芸人を夢見る若者が増えた。笑うことを否定するものではないが、芸人たちの台頭は日本大衆文化を変えたように思う。「お客さまは神様」は商売の世界では王道として言われてきた日本はお金を払う側が受け取る側より上位であるイメージが強い。お笑い芸人が特に意識しているのも「笑ってくれる人」の存在であり、ひたすら観客を持ち上げるようになり、それはまさに「お客様は神様」精神に通ずるものがある。
 
内館さんが指摘する「同調圧力」への忖度はいつの日か「させていただく」という全く意味不明な文脈で使われてきたことにも現れている。
何かを「させる」ことと「いただく」こと。不思議な組み合わせである。ある力を以って「させる」ことを相手はありがたく思い受け止めるのが「いただく」であるとするならば、それこそ忖度の世界である。
テレビ、最近ではYouTubeで注目するといかにこの「〜ていただく」が蔓延しているかわかる。
料理番組:「まず大根を切っていただき、4分茹でていただきます。」
    :「豆を煮て、時間をかけて(豆に)開いていただく」
整体動画:「まずバスタオルを丸めていただきます」「床に横たわっていただきます」
国語学者はこのような使い方をどのように説明するのか甚だ興味深い。以前日本で開催された会議などは単に「出席する」ものであったのが今は「出席させていただいた」といわないと生意気に聞こえるようになった。誰に頼んだわけでもないし、頼まれたわけでもないことを「させていただく」のは果たして「丁寧語」なのか「謙譲」なのかそれすらも危うい。
 
半世紀もの間日本から離れて暮らす者にとって死語となった日本語も多くあり、まさに「古い日本語」の言葉遣いは多々あるに違いない。しかし人を敬う心や、丁寧な言葉遣いが時代により消えてしまったり、変わってしまうのは果たしてあって良いものなのか自問する昨今である。
(2023年10月記)
    
 
 


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