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我々に必要なのは、24時間戦える精神ではなく、「そうだ、京都、行こう」

牛若丸三郎太が『勇気のしるし』を歌ったのは、1989年。バブル絶頂期で当時の筆者は中1であった。
夜ヒットに現れた時はなんだか不思議な現象を目撃した気分であったものだ。
当時は60万枚ものセールをあげて、我が氷河期世代にも馴染みのある歌であるのは間違いない。あの当時は、歌詞の意味も深く考えずに聴いたものだ。
その力強い歌声は、無知な中学生には心地よかったものである。

「24時間戦えますか」

「年収アップに希望をのせて」

まさにバブル期ならではのサラリーマン(あえてこの表記)的意識ではなかろうか。
昔、当時を知る者にあの頃の思い出を語ってもらったら、終電過ぎるまで赤坂の料亭で接待し、会社から 束で 渡された『タッ券(タクシー券)』を使って帰っていたという思い出が強烈であった。
それもまた当時の24時間戦線なのかもしれない。

歌の途中で外国人との商談にYesかNoか迫るのは、当時流行った
『NOと言える日本人』
を意識してのものだったのだろうか? そこもまた、バブル期ならではの空気感が滲み出ている。


『今日の仕事は楽しみですか。』

ディストピア広告と揶揄された品川コンコースに設置された広告に掲載されたコピーである。
ネット上で悪い意味で話題になってしまった。

昔、品川に通勤していた頃があったが、初めて品川オフィスに出社する際、朝の通勤時にあの通路を通る際、無数の同じようなスーツを着たビジネスパーソンの姿を眺めてそのおぞましい光景に吐き気を覚えたものだ。
しかし、この広告はその吐き気に拍車をかける。
Twitterで批判されている通り、まさに仕事を楽しんで励めと煽られてるようなものだ。
現代ビジネスパーソンの多くが、仕事など稼ぐために行ってる、半ば苦行でしかないと感じられているというのに。

恐らくはこれを企画した人たちはできるビジネスパーソンであり、それゆえに仕事を苦行などとは全然考えたことなどなく、むしろ肯定的な何かと感じ取られているのかもしれない。それゆえに、皆に仕事への好意的で肯定的なメッセージを送り出したかったのだろう。そこに悪意はないに違いない。できるからこそ、できない人たちが遠くの存在であり実態が見えずに頓珍漢な言葉を投げる格好になったのかもしれない。

しかし、このnoteでも記している通り、現代の仕事環境においては強く能力を求められている。
そして、その現代労働に合った能力は誰もが持てるわけではない。
なのに、社会は……いや、できるビジネスパーソンたちは「お前らもこの領域に上がってこい」と煽るのだ。
そして、そんな社会だからこそ、またバブル崩壊から四半世紀ずっと続くこの不安定な空気にみんな不安になっているからこそ、そんな煽りに動揺する人が多く現れている。

ネット上で自己啓発本批判があったが、そもそもそんな本を買う人が多いのはそんな不安と意識の高さを煽られる社会だからではないか?

みんな、訳がわからない上に確実に生き残るには能力が足りていないと実感するからこそ、自己啓発やセミナーに駆け込んでしまっているのではなかろうか?

そう、我々は常に煽られているのである。

品川に通うビジネスパーソンもまた、そのターゲットなのだ。

このハイレベルな世界で勝てる人間など一部だというのに。

 

そんな意識高い世界で、我々のような能力の足りない戦士に求められるのは、意識の高い言葉でなく、

「そうだ、京都、行こう」

みたいなどこか気の抜けた脱力系な言葉なのではなかろうか。
一層、品川から会社に向かわずそのまま新幹線ホームに駆け込んで、それこそ京都に向かうべきなのだ。
そういう脱力こそ欲するべき。

我々は、そんな意識高い言葉に「NO」と言えるビジネスパーソンになろう。


さ、京都の紅葉でも見に行こうかな。

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