チャンスは平等には来ません。
お久しぶりです。2月はいつも行動へのモチベーションが下がる時期になってしまいます。わかっちゃいるけど、投稿する手も止まってしまいがち・・・。
という言い訳はさておき、最近思うことを今日はお話ししていこうと思います。表題の通りだけども、今日言いたいことは「チャンスは平等には来ません。」ということ。
なんでこういう考えに至ったかというと、最近僕は新規で大きな仕事をやるチャンスをふたつばかし手にしたのだが、その理由は取るに足らない、誰でもできることをやったからだった。
それは、会社にかかってきた電話を早く取ること。
うん、新卒で社会に出て真っ先に教わることで、一番地味でめんどくさい作業だろう。僕だって取らなくて良いのであれば取りたくない。時間も取られるし、担当者につなぐのもいちいち手間がかかる。
それでも僕は電話を取るのをやめないだろう。何せ最初に入った会社で文字通り「眠れないくらい耳に着信音が残るほど」電話をとった経験のせいで?考えなくても取れるようになってしまっているから。
新卒で入った会社はたった1年しかいなかったけど、おそらくその1年で冗談抜きで10,000本は電話を取った。えげつない数の電話が来る支店に配属されたのが幸か不幸か僕の神経を麻痺させた。電話取って担当に繋ごうとしたらいきなりブチ切れられたこともあったし、逆に顔を合わせたこともないのに名前を覚えてくれてフランクに話してくれるお客さんにも出会ったり、たかが電話で面白い経験をいっぱいさせてもらった。
ちょっと脱線したので戻すと、そのとき鍛えられたこともあり、僕はそのチャンスの電話を引き当てることができるようになった。前述したふたつの仕事は、成功すればひとつの案件で3,000,000万円と10,000,000万円オーバーの仕事になる。ジャンボ宝くじ並みだ。
ただ、電話を取るのをめんどくさがって取らなかったりすぐに取らないとこのチャンスにはいつまで経ってもありつけない。誰でもできることをやらないのだからそうなるのは当たり前のことだ。
やることをやっている人間とやることをやっていない人間がいたとしたら、やることをやっている人間が早く美味しいところを全部取っちゃう。残り物には福はありません、何も残らないから。
だからチャンスは不平等なんです。ラッキーはやっている人間の目の前に現れるもの。そこは不平等だがフェアなんです。そしてやってる人同士にはチャンスは平等にやってきます。
僕が二度のニートを脱せられたのだって、結果が出ない苦しいときでも、コロナで振り回されようとも、現実と向き合い続けることをやり続けた末のラッキーだった。でも途中で折れてやめてたら僕は今でも腐ってどうしようもなくなっていたことだろう。
僕はここではもう耳タコだろうが、「できることをやる」ことが自分を助けると思っている。やってなければ何も起きない。
多分この考えは僕がこれから先40代50代、もっと先のじじいになっても変わらないことだろう。中堅になっても僕は電話を取るだろうし、できる雑用は率先してやる。それが自分のためになるから。
さて、それではその取れちゃったデカい案件にビビりながら明日からまた頑張るとします。
以上です。
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