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「他人」は動かせない。が…

「人材育成を進めているが、なかなか成果が出ない」
「指導しているが、なかなか変わらない」

 こういった、他者にアプローチをかけるもなかなか目に見えた変化が無い、ということは人材育成に限らず日常的に多いかと思います。

 あなたが指導者であるなら、このことについて「教え方が悪いのか」「どう伝えればわかってもらえるのか」など自責の念に囚われたり、または「指導を全く聞き入れていない」「自分を変える気のない奴だからだ」などと相手のせいにし、イライラすることもあるかと思います。

 私もかつてはそうでした。
 水を与えれば育つ植物のように、人も教えれば覚え育つ。そんな風に考えていました。
 しかし、そうではありませんでした。

 そのことに気が付いたのは、「いつやるの?今でしょ」で有名になった林修先生の言葉「自分は変数で他人は定数。定数を変えようとするからおかしくなる」を知った時でした。

 他人は定数。つまり変えてはいけない数字と同じと捉えて、他人を変えようとしてはいけない。

 なるほど、確かに私もいままで、他人を変えようとして、しかしなかなか変わらないことに苛立ち、果ては自分の無力感を感じていたのは、変えられないものを変えようとしていたからなのか、と、当時はかなり楽になったものです。

 しかし、ここで一つの疑問が浮かびます。

 他人を動かせないとしたら、人材育成って無駄なのか?

 考えてみると、「人材育成」「社員教育」などの題で行われている社内活動は、教えている100%の内容を受け手が学べているか、そして活用できているか……うーん…あまり有意義なものは多くは無いのかもしれません。

 ではやはり、人材育成は無駄なのでしょうか?

 私が考えるに、「他人は動かせない。が、影響を与えることは出来る」のではないでしょうか。

 つまり、「学習の基本は自主的な自学」だが「学べる環境や学ぶ意義」を与えることは出来る。ということ。

 社内での人材育成を例に挙げると、評価制度や学習しやすい風土や雰囲気づくり、などが「環境」。自分が目指す将来像を明確にさせ、それにどう取り組んでいくかともに考える、や、ガツガツ学習しモリモリ成長しバリバリ仕事をこなす背中を見せる、など、その人の学習意欲にアプローチをし、行動させる「意義」。これらをそろえることが出来れば、もしかしたら人材育成は今までより少しだけ進む「かも」しれません。

 「かも」としたのは、あくまで「他人は動かせない」からです。上記例はあくまで「お膳立て」つまり準備の話です。良い植物も、まずは土から。
ようは対象者が「ちょっと勉強してみようかな」「自分を変えなきゃならないかな」と感じてもらうことが大切で、そういった「自発的な感情」をどう芽生えさせるか、ということのみが、相手に与えられる唯一のアプローチなのだと思います。

 そしてもし、うまく相手の「自発的な芽生え」を引き出せたら、その小さな小さな芽を優しく育てるつもりで、じっくり向き合わなくてはなりません。水は多すぎず、すこし足りないくらいで。

 あくまで「他人は動かせない」ので、どう成長していくかは、こちらで完全には操作できません。こうしたらよいのでは?こうあるべきなのでは?と色々注文を付けても、どうなっていくべきかを決めるのは結局は本人です。しかしそれでよいのだと思います。本人が自分の信念やスタイル、憧れに沿って、それにあった道を選択していくことは、成長にとっては結局一番の近道のように感じます。(参照:note あなたがより「不可欠な人材」になるためには?https://note.com/kurodayuya/n/nd6461728cbea)

「他人は動かせない。が、影響を与えることは出来る」
 押しつけず、期待しすぎず、適度な距離感で、成長に寄り添っていけるような人材育成ができたら、と私自身強く感じます。


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