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<縁は異なもの粋なもの?>Don’t think! Feel JAZZ! 第五回 「〜キリギリスの独り言〜」


※黒田ナオコ過去コラム公開 2017年12月号のひろたりあん新聞掲載


好きなことを仕事にしていて良いですね、とよく言われる。
たしかに、趣味が高じて、というところもあるけれど、趣味と仕事ではわけが違う。
でも「こちとら毎日会社で夜は残業。あなたは優雅に歌って良い身分ですね」と皮肉めいたことを言われたこともある。

もちろんそれは一部の、嫌味を言うことに生きがいを感じている人の言葉。

私のコンサートに来てくださるお客様は、本当に楽しみにしてくれていて有難いことだ。私は、流れに逆らわず頑張っていたらこのような道に入っていた。時々、一体私の歌のどこが良いのかしら?とも思うが、勿論「あなた(の歌)が好き」と言われて、嬉しくない訳がない。

だれしも音楽に助けられることはある。音楽は食べられないし、役に立つ道具にもならない。でも、心をそっと掴んで動かしてくれる。

イソップの『アリとキリギリス』という寓話がある。
アリがせっせと働いているときに、キリギリスはバイオリンを弾きながら歌う。
冬が来て食物の蓄えがないキリギリスがアリに物乞いに行く。アリは夏に働かなかったから自業自得だと突き離し、キリギリスは空腹で死んでしまう。(暖かく家に迎え入れたというのは後付の話)

キリギリスの音楽は、アリに響かなかった。
歌とバイオリンは「遊び」で、
食べ物を蓄えるのは「仕事」だった。
私がとても切なく感じる話である。

誤解を恐れずに言うなら、この話には、文化が無い。

寓話というのは、言い伝えだから、「遊んでいないで働け、さもないと死ぬぞ」いう教えを伝えているのだろうけれど、

音楽に心惹かれて、働く気力が湧いてたという気配はまるで無い。辛いルーティーンの仕事も、君の音楽で気分転換できてはかどったよ、となって欲しかったが。

私たちは、その部分を与える仕事だ。
しかし、与えようと思ったって与えられるものでもない。
何気なく歌った歌が心を打つこともあるし、一生懸命歌ってうるさがられることもある。

ここにはとても繊細な境界線がある。芸術は、作る側は自分を信じて続けるしかない。良し悪しの全ては受け手に任せている。

この寓話では、キリギリスが懸命に働くアリを馬鹿にした部分があるので、それでは最後に死んでも仕方ないのかも。

しかし、「夏に歌っていたなら、冬は踊っていれば?」
と言われ、寒空にほおり出されたというのが元の話。

ちょっと!歌とダンスを馬鹿にしてないか?
と哀しくなる私である。

調べると、「アリとキリギリス」は最初は「アリとセミ」だったらしい。
ん?セミは冬まで生きていないけど?
と、つじつまが合わない。
寓話をあまり深くかんがえることはないか。私の過剰反応か。

自分がキリギリスとなり、最後には見放されて死んでいくような気がしてしまうのは、いつも、形のないものを生み出そうとしているからかもしれない。

でも、目に見えないものが、助けてくれることもあったよね。
なんだか、そう一年を振り返りたくなる、年の瀬である。

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