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局所麻酔のあいだ誰かが手を握っていてくれた話

まずはこちらを。

***

地獄、再び ~再手術が決まるまで~



眼の手術も全身麻酔も、二度とやりたくない――。

前回の記事(上記リンク)の末尾に、わたしはそう書いた。確かにそう書いた。
しかし、地獄は終わらなかった。

前回の手術からおよそ1ヶ月後の2023年7月6日、わたしは二度目の眼科手術を受けることになってしまった。

もしかすると、もう一度手術をする必要が出てくる可能性があります、とは一度目の手術の際にも言われていた。

それでも、いざ実際に二度目の手術を言い渡されたときには、かなり落ち込んだ。
あれで地獄は終わりだと思っていたのに。だからぎりぎり耐えられたのに。

二度目の手術。
良い知らせと悪い知らせがあった。

まずは、良い知らせ。
二度目の手術は、局所麻酔、かつ一泊二日の入院で済むということ。

あの、全身麻酔から目覚めたあとの極寒、なんともいえない気分の悪さ、胃が捩じれそうなほどの空腹、なにより、両目が眼帯で塞がれて何も見えない、何もできないストレス…。

あれが再び襲ってくるわけではない、と分かって心の底からほっとした。

そして、悪い知らせ。
手術の日が、わたしの29歳の誕生日当日だということ。

ちょっと癖のある(というか医者ってだいたい癖あるよね)わたしの主治医が言った。

「えー、ちょっと待ってねぇ…。今回の手術は、予約で埋まってるところに緊急で入れ込むことになるから、あんまり日程の選択肢がないんだよねぇ。そうだねぇ…最短だと…7月6日とか、どう?」

嫌です。誕生日なので。

とは、もちろん言えなかった。

そのときのわたしの目は、どちらか片方の目を隠していないとナチュラルで寄り目になってしまう、ゆえに常に物が二重に見えてしまう、という不便極まりない状態だった。
とにもかくにも生活に支障がありまくりだったので、これを一刻も早く解消したかった。
その日が最短なのだと言われれば、首を縦に振るしかない。

「ちなみに、先生、その日、わたし誕生日なんです」

せめて言わせてほしかった。
もう子供じゃないのだし、もう若くもない。自ら誕生日アピールをするなんて超ダサい。
分かっていたけれど、言わせてほしかった。

「え? あ、ほんとだね。じゃあ、しっかり治さないとね!」

いや、誕生日じゃなくてもしっかり治せよ。

友達との野球観戦の誘いを断り、父との飲みの約束を延期し、
かくしてわたしは、20代最後の誕生日を病院のベッドの上で迎えることになった。

***

強敵デパス ~効きすぎるのも困りもの~


あの、全身麻酔から目覚めたあとの極寒、なんともいえない気分の悪さ、胃が捩じれそうなほどの空腹、なにより、両目が眼帯で塞がれて何も見えない、何もできないストレス…。

あれを乗り越えたのだから1泊2日の局所麻酔なんて屁でもない。

手術自体はたったの2時間弱。
誕生日という、その1点にさえ目をつぶれば、今度こそ目が治って、3食付きで、ベッドの上でごろごろできて、ただの最高の休暇じゃないか。

入院当日、わたしはそんなことを考えながら、意気揚々と病院に向かった。

今回は、午前中に入院、その日の午後に手術というハードスケジュールだったので、病室に荷物を置くとすぐに視力検査に呼ばれた。

もはや恒例となった、黄緑の光をじっと見る検査、機械の奥から風が出てくる検査、そして普通の視力検査を終え、15分ほどで病室に戻ってくる。

ほっと一息つく間もなく、看護師さんが「デパス」という薬を持って入ってくる。

調べたところ、この「デパス」は精神安定剤の一種らしい。
不安や緊張をやわらげる効果があり、主に不安障害や睡眠障害、うつ症状の治療に用いられることが多いそうだ。
ただ、副作用が少なく安全性が高いことから、上記以外にもいろいろな診療科で、いろいろな病気に対して使われているという。

局所麻酔での手術では、ちょうど体の幅くらいしかない手術台の上に、意識がある状態で、1~2時間じっとしていなければならない。
そのため、人によっては途中で耐えられなくなって「うわー!」と暴れ出したいような気分になるらしい。

そうなることを防ぐための、術前の「デパス」だ。

デパス、こんなの。

服用の際に副作用に関する注意書きのメモを受け取った。
そこには、以下のような副作用が列挙されていた。

眠気、ふらつき、けん怠感、脱力感、発疹、じん麻疹、かゆみ、紅斑

デパス錠0.5mg | くすりのしおり : 患者向け情報

まあ、こんなのは大した問題ではない。
どうせ飲んですぐ手術なんだし、手術のあとはベッドで寝ているしかすることもないし。

デパスを飲むと、続いて点滴が始まる。
点滴がぽたぽたと落ちるのをボーッと眺めていると、再び看護師さんがやってきた。

今度は主治医の診察だという。

はいはい分かりました、と立ち上がった、はずなのだが、なぜか再びベッドに腰を下ろしている。

「大丈夫ですか?」

看護師さんが訊いてくる。
え、ぜんぜん大丈夫ですけど、と思いながらもう一度立ち上がる。

あ、ダメだ。

そう思った瞬間、すっと脇の下に手を差し込まれた。看護師さんの手だ。

「ふらつきますか?」

そう問われて初めて、わたしは自分がふらついているのだということに気づいた。

「お薬が効いてるんですね~」

ベッドに付属のテーブルに置いた、さっき受け取ったメモに目をやる。

眠気、ふらつき、けん怠感、脱力感、発疹、じん麻疹、かゆみ、紅斑

確かに、「ふらつき」も入っている。
だがしかし、早すぎやしないか。
飲んでからまだ20分ほどしか経っていない。

そのまま看護師さんに脇の下を支えられ、5階の病室から2階の診察室まで歩いていく。
めちゃくちゃふらつきながら。

「……ちょっと早すぎませんか、効きはじめるの」
「そうですね。かなり早いですね(笑)」

看護師さんも失笑するレベルの効きの早さにより、手術室へは車椅子で行きましょう、ということになった。

***

【この先、閲覧注意】いざ手術 ~恐怖の「グイグイ」~


そして、いよいよ手術室へ。

すれ違う看護師さんたちから

「え? この人、手術いまからだよね? もう車椅子?」

みたいな視線を向けられながら、病室から手術室まで車椅子で向かう。

手術室に着き、お医者さんたちや手術台の準備が整うまで、車椅子に乗ったまましばし待つ。

その間、猛烈な睡魔が襲ってくる。

眠気、も確かに副作用のメモに書いてあった。
しかし、やはりちょっと効きすぎではなかろうか。

手術の準備が整う。
朦朧とするわたしを看護師さんが揺さぶり起こし、なんとか手術台に押し上げてくれる。

仰向けに寝るなり、主治医とその補助みたいなオバチャン医師が、寄ってたかって左右の目に点眼薬をさしまくる。

眼科の局所麻酔においては、この点眼薬が麻酔なのだ。

目から溢れるほど麻酔をさしまくったあと、びしゃびしゃの目にライトを向けられる。

「これ、眩しい~?♪」

わたしの、ちょっと変わっている主治医が、前回の手術と負けず劣らずのハイテンションで尋ねてくる。

デパスの猛攻撃による眠気で朦朧としているわたしは、春の夜の夢のごとき知覚を総動員して眼前のライトを捉えた。

そこには、割るのを失敗したときの生卵の黄身みたいなぐちゃぐちゃとした黄色が見えた。
ぜんぜん眩しくない。

「じゃあ、これ痛い~?♬」

再び、ハイテンション主治医。

手にしたピンセットで、わたしの眼球をつるつる撫でる。

そう。
撫でているのだ。
ピンセットで。
眼球を。

わたしの目はその一部始終をしっかりと捉えている。

でも、ぜんぜん痛くない。

触られている感覚もない。

ただ、ばっちり見えちゃっている。

え? え? 手術、ずっとこの感じで行くの?

この1時間、わたし、わが身に何が起こってるか刮目しつづけられる状態なの?

痛くないけど、それはちょっとえぐすぎないですか。怖すぎないですか。痛くはないんだけど。

と、思ったら、唐突に視界が塞がった。

なんか載せられた。
黒目に、なんか載せられた。

たぶん、カーゼみたいなものだと思う。

わたしの手術は、黒目をいじるものではなく、白目の部分の筋肉を調整するものなので、黒目になんか載っていても問題ないのだ。

ぽん、と載せられて、ぱっ、と始まった。

***

めちゃくちゃだるくて、眠い。
だけど、寝落ちするまではいかない。

そんな微妙な心身状態で手術が進む。

序盤は余裕だった。
なんか触られてるなーという感覚はあるものの、それよりもだるさ、眠さのほうが勝っていて、はいはい勝手にやってください、という感じ。

器具がカチャカチャ鳴っているのとか、お医者さん同士がコチャコチャ喋っているのとかを、心地よいBGMにうとうとしていた。

だが、中盤に差しかかると一気に様相が変わった。

あ、ここからが本番だな。

というのが素人にも分かるくらいの変わりようだった。

それまでは患部に至る道を切り開いていたのが、ついに患部に到達したのだ。

前回、今回とわたし受けた手術というのは、白目の筋肉を切ったり引っぱったりつなげたりするものなのだが、
その、「切って」「引っぱって」「つなげて」いる感覚がモロに伝わってくる。

特に、「引っぱって」のところ。

目の奥で、それまで存在すら意識していなかった筋肉がグイグイ引っぱられる。
麻酔が効いているはずなのだが、それでも呻き声が漏れる程度には痛い。
ぶっちゃけ、かなり痛い。

よく、花粉症の人が、花粉による目の痒みを「眼球を外して洗いたい」などと表現するが、その痛みバージョンとでも言えばいいだろうか。

一刻も早く眼球を外して遠くに放り投げてしまいたいような、このなんとも言えない不快感。

これが、次、どのタイミングで襲ってくるのか分からないのも辛い。

これが、あと、およそ1時間。
ちょっと、やばいかもしれない。

この痛みと不快感は、あの強敵デパスによるだるさも眠気も余裕で超えてくるレベルだ。

あまりの痛さに涙がこぼれかけたそのとき。

わたしの右手に何かが触れた。

***

誰かの手を握る ~あなたはいったい誰ですか~


それは、手だった。

誰かの手だ。

目の奥の筋肉が引っぱられる、あの「グイグイ」がやってくるタイミングで、その手がわたしの手をギュッと握ってくれる。

それまでは、断続的にやってくる「グイグイ」を乗り切るために、拳を固く握りしめるしかなかった。

その拳のなかに、いまは誰かの手がある。

「グイグイ」の痛みと不快感から気を逸らすべく、わたしは、突如として触れた誰かの手に意識を集中させた。

それは、ちょっと小さめの、ふわふわした手だった。
わたしは、40~50代くらいの、女性の手だと推測した。
手の甲側の皮膚は薄くてたるんでいる感じがするが、手のひら側、特に親指の付け根の肉感がすごい。
こちらがギュッと握ると、それと同じくらいの跳ね返りがある。
さらに、人肌、という言葉で表現する以外ない、ほんのりとした温かさ。
まるで、局所麻酔の手術で悶える患者の手を握るために作られたかのような手だ。

***

終盤になると、「グイグイ」の強さは最高潮に達した。
目を力点にして体が浮くのではないかと思ってしまうほどだった。

わたしは、ちょうど体の幅しかない手術台の上で右に左に体を捩りまくった(デパス、やっぱり飲んどいてよかった)。

術前の診察の際、主治医に

「たぶんそんなには痛くないと思うんですけど、もし痛かったら合図してくださいね~♫」

と言われていたので、引き続き

「痛いって!ちょっとそれは痛すぎるって!」

の意を込めて呻きまくってもいたのだが、「グイグイ」はとどまるところを知らない。

そうなると、頼みの綱は、この、右手に触れている誰かの手しかない。

その手が登場してから手術が終わるまでの約1時間、わたしは、「グイグイ」がやってくるたびに手を握りまくった。

握りすぎて、さすがのスーパーふわふわハンドもぺちゃんこになってしまうのでは、と心配になったが、その手は最後まで素晴らしい弾力をもって応えてくれた。
こちらの握力と、それに対する手の反発力は最後まで1:1だった。
ほんとうにありがたいことだ。
患者のわたしも頑張ったが、その手の持ち主も同じくらい頑張ったと思う。

***

手について考える ~この手はいったいなんなのだ~


やがて、手術が山場を越え、「グイグイ」のピークが過ぎた。

脳みそに「痛い」以外の思考が入る余地が生まれると、いまさらながら、気になりだす。

ていうか、この手、なに?

さっきからずっとわたしの手を握ってくれている、この手は結局なんなのだろうか。

術前の診察でも、

「手術中は、手を握ってくれる人がいます」

なんていう説明は受けなかった。

わたしは、手術台に上がってから黒目の上にガーゼが載せられるまでの間に見た光景を思い出そうとした。

デパスにより朦朧とした意識の中ではあったが、あのとき確かに、手術台の周囲には4,5人の白衣の人たちがいた。

あの中に、この手の持ち主がいるのだろうか。
果たして、こんなスーパーふわふわハンドを持っていそうな顔の人がいただろうか。
思い出せない。

わたしは、できることなら、自分の黒目にのっかっているこのガーゼをちょっとだけどけてほしいと思った。
そして、いまわたしの手を握ってくれているこの手の持ち主を確認したい。
どんな顔の人が、どんな顔をして握っているのか、まじで確認したい。
まあ、絶対無理なんだろうけど。

というか、今回のこの「手を握る係」ってどうやって決まったのだろう。

やっぱり、手の質感、触り心地で選ばれるのだろうか。
病院の偉い人が候補者たちと順番に握手していって、「この手!」となった人に
「では、次の手術はあなたに手を握る係をお願いします」
って頼むのか。

それとも単純に、そこらへんにいた空いてる人を借り出してくるのか。
それにしては、この手、スーパーふわふわハンドすぎるんだよなあ。

まさか、「手を握る係」単体で採用活動をしているわけはないよな。
普通に、医療の知識や技術を持っている人が、たまたま今回「手を握る係」になっただけだよな。

そういえば、わたしが敬愛する伊坂幸太郎のデビュー作『オーデュボンの祈り』には、死期が近づいた人の手を握る、という仕事に従事している百合さんという女性が登場する。

もしかして、いままで知らなかっただけで、現実にもそういう仕事があったりするのだろうか。

伊坂幸太郎『オーデュボンの祈り』(新潮社)


***

くだらないことにつらつらと考えを巡らせているうちに、手術が終わっていた。

拘束を解かれ、上半身を起こされる。

ちょっとまじでありえないくらい眠い。そしてだるい。

相変わらず平衡感覚もゼロで、わたしは来たときと同じように車椅子に乗せられて病室に戻った。

半分眠りかけた状態で行った患者が半分死にかけた状態で戻ってきた、ということで、ナースステーションの看護師さんたちがわらわら集まってくる。

「黒田さん! 黒田さん!」
「返事できますかー?」
「目だけでも開けられる?」

わたしはただ死ぬほど眠かっただけなのだが、あとで聞いたところによると、このときみんな、わたしがほんとうに死にかけていると思ったらしい。

手術のあと、呼びかけに反応しない、意識がないというのは、そういうことなのだ。

四方八方から飛んでくる必死の呼びかけに、なんとか薄目をこじあけて反応し、わたしは今度こそ眠りの海にぶくぶくと沈んでいった。

ちなみに、術後の眠気と倦怠感もやはりデパスの副作用だったようだ。
いやはや、デパス、強すぎる。
というか、わたしがチョロすぎるのか。
担当の看護師さんをして
「こんなに効く患者さんは初めて」
と言わしめる効きっぷり。
完全敗北だった。

***

とはいえ、そこはやはり局所麻酔。
翌朝には、自分の足で歩いて診察に出向くことができるまで回復していた。
手術は成功。
患部の経過も良好。

目は問題なし。
となると、早急にやるべきは、散々だった昨日の誕生日を取り戻すことだ。

平均よりは高め、という自己評価を下しているコミュニケーション能力を駆使して、病室にやってくる看護師さん1人ひとりに
「昨日の手術と、それに関連する一連の事柄がいかに大変だったか」
そして、
「誕生日当日にそのような手術を受けることになった自分にどうかお恵みを」
という2点を語りに語った。

そして見事、前回の入院でもお世話になった顔なじみの看護師さんに、病院のラウンジに設置されている食品の自動販売機でチップスターのコンソメ味を買ってもらうことに成功。

さらにそこに、そのときナースステーションにいたお手すきの看護師さんたちに一言ずつ、誕生日おめでとうコメントをもらうこともできた。

誕生日に手術、というあまりありがたくない事態によって少し落ちていた気持ちが、その寄せ書きチップスターのおかげでずいぶん慰められる気がした。

この寄せ書きチップスターの存在によって、昨日という1日が、「デパスに完全敗北し、目のどっかの筋肉をグイグイやられた日」ではなく、「過去最大の人数に誕生日を祝ってもらえた日」になったのだ(厳密には、寄せ書きチップスターをもらったのは誕生日の翌日だけど)。

退院のために荷造りを終え、もらったチップスターをくるくると回して、1つずつコメントを読んでいく。
コメントを一周し、チップスターのふたに手をかける。
その、自分の右手を見て、思い出す。

そうだ。

わたしの29歳の誕生日の記憶をいいものに書き換えてくれたのは、チップスターに寄せ書きをしてくれた看護師さんたちだけではなかった。

手術中にずっとわたしの手を握ってくれていた、あのスーパーふわふわハンドの持ち主。
あの手を忘れてはいけない。

結局、あの手の持ち主が誰なのかは分からなかった。
手術の前にも後にも、誰からも何の説明もない。
もしかして、あれは幻だったのでは?
そんなふうにも考えてしまう。

だが、これから先、29歳の誕生日を振り返るときには、わたしはきっとあの手のことも思い出すだろう。

デパス、あの手、チップスターだ。

わたしは、チップスターと内袋を開けた。
できることなら、このチップスターを、あの手の持ち主と分け合いたいと思った。

あの手は今日も、誰かの手を握っているのだろうか。
あの手は今日も、誰かにちょっとした安心をもたらしているのだろうか。

嗚呼、スーパーふわふわハンドよ、永遠なれ。

心の中でそっと唱えて、わたしはコンソメ味のチップスターを1枚、口に入れた。

***

おまけ


寄せ書きチップスターの写真。

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