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蚕で建てた前橋城/日本の近代化を支えた生糸の街/前橋市
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★城郭 前橋城
前橋城は蚕で建てた城だ。そして、戦国以来の日本の築城技術で建てられた最後の城でもある。
前橋は元は厩橋(まやばし)と言った。読み仮名「う」を忘れたわけではない。中世の史料で「まやばし」「マヤ橋」と書かれている。もともと「うまやばし」と言ったものの「う」がのちに取れたのかどうかは資料がなくわからない。今も市内の広瀬川に架かる橋は厩橋(うまやばし)である。
戦国時代からの要地だが利根川がたびたび城地を侵食し、江戸時代の1767年、名を改めた前橋城主だった越前松平家は、領地内の川越に居城を移し、城を放棄した。
![前橋城](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/18241909/picture_pc_d88abafb4d378eb1e853b3af4c912269.jpg?width=1200)
県庁裏、利根川との間に残る前橋城の巨大な土塁
武士が去った前橋は寂れ、領民は藩主の帰城を再三願い出る。しかし前橋から移った川越藩の財政は豊かではなく、幕末は沿岸防備に駆り出され、帰城どころではなくなっていた。そこに訪れたのが、皮肉なことに鎖国を解いて一転開国したことによる経済の大転換だった。
横浜などが開港されると生糸は最大の輸出品となる。産地の群馬県地域には需要が殺到し好景気に沸いた。川越藩は横浜に事務所を置くなど生糸貿易
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