黄門_助格

黄門様らにあちこちで遭遇/明治維新、発端の街/水戸市

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 水戸は明治維新の発火点といっていい街だ。しかし世間的評価は薩摩・長州に遅れをとっている。気の毒である。だが徳川御三家の一角だった水戸家がなぜ維新の発火点となるのか。それは昭和お茶の間の有名人、水戸黄門に遡る。
 黄門こと徳川光圀は若い頃はやんちゃで鳴らしたが、改心して儒学に目覚める。自身が長男を差し置いて藩主になったことを気に病み、兄の子を養子として藩主を継がせるほど、長幼の序にこだわるようになった。
 滅亡した中国・明王朝の学者・朱舜水を師として迎えて勉学に励み、有名な「大日本史」の編纂に取り掛かる。この時に重用されたのが格さんのモデル安積澹泊(あさか たんぱく)、通称覚兵衛。助さんのモデル佐々十竹、通称介三郎である。
 3人の像が水戸駅北口にある。また格さんの像は、水戸城の二の丸展示館前にも立つ。編纂のため水戸藩の学者が資料を訪ね歩いたことが、黄門様の諸国漫遊のイメージとなったらしい。

黄門&助格

       水戸駅前に立つ黄門様と助さん格さんの像

 大日本史編纂では、日本史の大義名分を明らかにするということ重要だった。しかし日本史でそれを突き詰めると、所詮将軍は天皇から政治を預かっているのだ、ということに行き着く。
 編纂は光圀死後も続き、財政難による中だるみのあと、9代藩主斉昭の時

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