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「葛西ばやし碑」(葛西ばやし発祥の地)

神田囃子の元と言われるお囃子

★ジャンル【文化】
★場所 葛飾区東金町6-10
★最寄駅 JR常磐線金町駅

★解説文
「葛西ばやしは葛飾方面に古るくから伝はる郷土芸術のひとつである 享保の初年 葛西金町の鎮守香取神社の神主 能勢環氏の郷土の青少年の情操に思いをいたし 和歌ばやしといふ一種のはやしを教え 次第に江戸近郷の祭礼に愛賞され神霊を慰めたのがその起因といわれる 後ちに葛西はやしとなって再来 文化の進取と共に郷土色豊かな祭りばやしとなって現代に至ったのである 昭和二十六年区内有志により葛西ばやし保存会を創設し一段と技能研精に努め 同二十八年十一月三日東京都より無形文化財の指定を受けたのである 偶々今秋社殿の落慶を記念し これが起因を石に刻して もって後代に伝ふ」

★解説
 金町駅北口を出て徒歩15分ほど。江戸川の川べりに葛西神社があります。その境内に大きな碑が建っています。
 足立区の「元木囃子発祥の地」でも書きましたが、お囃子の歴史というものはあまりに庶民の当たり前の生活の中にあったために記録がなく、歴史はよくわかりません。
 しかしその中で、この葛西ばやしは、江戸時代の享保年間(300年ほど前)に始められた、と伝えられています。しかし当時は「葛西ばやし」といった名称はなく、単に「お囃子」と称しており、「葛西ばやし」の名は戦後に保存会ができてから付けられたものです。
 葛西ばやしは江戸時代から周囲に広まり、江戸や周辺の祭りで披露されました。維新前後は一時廃れたものの、明治になるとますます盛んになり、江戸の天下祭りである神田祭にも、葛西ばやしの名人たちが呼ばれてお囃子を披露していました。
 しかし神田でもこの囃子を習得して自分達で演じようとの気運が生まれ、昭和にかけて神田囃子が生まれます。お囃子は個人の感性で常に変化しており、これが常に新しい流儀を生み出す元となりました。
 神田囃子もそうですが、葛西ばやしは5人編成で五人囃子と言います。大太鼓、しめ太鼓2人、笛、鉦です。曲目も6段編成で決まっていますが、江戸時代は別個のものだったのが、いつしか一つの編成になったとも言います。

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