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「平成中村座発祥の地」

早世した中村勘三郎の「慰霊碑」

★ジャンル【文化】
★場所 台東区浅草7-1-22
★最寄駅 東京メトロ、都営地下鉄浅草駅、東武浅草駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「『江戸時代の芝居小屋を現代に復活させ、多くの方々に歌舞伎を楽しんでもらいたい』十八世中村勘三郎(当時勘九郎)の抱いてきた夢が『平成中村座』として二千年十一月、ここ山谷堀に実現しました。第一回公演は、『隅田川続俤 法界坊』でした。」

★解説
 隅田川沿いの山谷堀公園内にあります。
 中村勘三郎(なかむら かんざぶろう)は昭和から平成にかけての人気歌舞伎俳優で、長く「勘九郎」として親しまれた。長男が現・勘九郎(かんくろう)、次男が七之助(しちのすけ)です、ってみなさんご存知ですよね。
 「平成中村座」は晩年の10年ほどに手がけていたプロジェクトで、江戸時代の芝居小屋の雰囲気で歌舞伎を味わってもらおうと、常設の劇場ではなく、隅田川べりの仮設劇場で公演を行いました。江戸時代の演劇は、火災対策という建前で、いつでも撤去できる仮説の芝居小屋が多かったのです。また劇場内の幕は、江戸時代の中村座と同じ白・柿色・黒の定式幕を使っていました。
 初演は2000年十一月で、ほぼ1年おき程度で公演。海外などの公演以外は基本、仮設劇場で、大阪や名古屋などでも公演しました。東京でも浅草寺本堂裏などでも興行されました。
 亡くなる直前には2011年11月から2012年5月までのロングラン公演をこの山谷堀公園で行い、成功させましたが、終了後の健康診断で食道がんが発覚します。桑田佳祐(くわた けいすけ)さんの食道がんを治療した医師が手術し、手術は成功したのですが、抗がん剤の副作用による免疫低下で肺の感染症にかかり、それが原因で亡くなりました。
 57歳という若さで、翌年には新歌舞伎座のオープンを控えていただけに歌

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