夏みかんが残した江戸の街/数多く残る松陰ゆかりの地/萩市
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★都道府県 山口県
★城郭 萩城
萩の城下町が、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのように残っているのは、夏みかんのおかげである。
今、夏みかん産地といえば熊本県や愛媛県などだが、その主力品種は1960年代から人気になった「甘夏みかん」だ。本来の夏みかんは山口県の特産、特に萩市がその中心地だった。原種は江戸時代中頃にお隣り長門市の青海島で見つかり、初めユズの代用品として青いうちに絞って使われていた。ところが夏になると甘くなることに気がつき、幕末頃には「ナツダイダイ」として食用となる。
さて長州といえば倒幕の中心勢力で、萩も維新後大いに栄えたかというと正反対。実は幕末の時点で藩庁は山口に移っており萩はもぬけの殻だった。県庁も山口となり、産業もない萩は廃れた。困窮した旧士族は萩の乱を起こすがたちまち鎮圧され、萩は火が消えたようになる。
そこへ小幡高政(おばた たかまさ)という旧藩士が、中央官僚を辞してやって来る。彼は旧士族の困窮を見て「ナツダイダイ」の商業化を思いつく。1876年にまず自宅の庭に植え、主がいなくなったり、広大な敷地が不要になった武家屋敷跡を利用して栽培地を広げていった。風よけとなるため屋敷跡周囲の土塀は残され、今も武家町の風情がよく残ることとなる。
夏みかんは関西などで「夏に食べられるみかん」として評判になり、栽培や売り上げが急速に拡大する。一時は萩町の財政収入の数倍を夏みかんが稼いだという。明治後期から昭和にかけて1万トン前後の夏みかんが生産された。皇太子時代に訪れた昭和天皇が「この街は香水をまいているのか」と聞いたほど、街に夏みかんが溢れた。
旧小幡邸はその後田中義一邸となり、今は文化財として公開されている。庭に小幡自身が建てた「橙園之記」の碑が建つ。みかんが萩を救ったこと
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