駿府城、浅間大社、富士山は一直線/家康のこだわり感じる街/静岡市
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「家康の人間形成の一番深い部分。それは駿府で育まれたと思います」。大河ドラマで徳川家康を演じた滝田栄さんに聞いて、なるほどと思ったことがある。
家康は今川義元の人質となった少年期に10年以上を駿府、すなわち静岡市で暮らしている。満年齢でいえば6歳から17歳の多感な時期である。
「高僧の太原雪斎の教育を受けたとも言われます。ここで仏教を学び、戦を無くす世を志したのでしょう」と滝田さんは続けた。家康は「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんんぐじょうど)」の馬印を掲げた。戦乱を払い、平和な世を目指すとの願いを込めたのだろう。
少年期だけではない。家康が生涯で最も長く暮らしたのは実は静岡市。家康は本能寺の変後に甲斐・信濃を領有すると本拠を浜松から駿府に移し4年間住んだ。さらに将軍を秀忠に譲った後に駿府に戻り、亡くなるまで10年住む。合わせるとほぼ四半世紀、人生の3分の1を静岡市で暮らしている。静岡駅前には少年期の竹千代君像と5か国領有時代の壮年期の像、駿府城公園には晩年の家康像が建つ。
駿府城公園の晩年の家康像
家康の富士山へのこだわりもこの駿府で作られたのだろう。有名な「一富士二鷹三茄子」という言葉は、家康の好みを表したという伝説がある。富士山本宮浅間大社の最古の建物は家康の寄進だし、富士山頂上周辺が浅間大社の所有地なのも家康の命が元という。江戸の街の景観も、日本橋から富士が望めるようにするなど工夫されている。
よく晴れた日には、駿府城公園から富士山が良く見える。天守があった頃はさらに素晴らしい眺めだったろう。実は駿府城天守と、富士山頂の浅間大社奥宮、富士宮の浅間大社は一直線上にある。これは偶然ではないだろう。
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