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「会える秋田美人」を楽しむ/意外と新しい「美人」のルーツ/秋田市

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 「秋田美人」って本当にいるのだろうか? 平安時代の小野小町に端を発する話だと思うが、実は小町が秋田県生まれかははっきりしない。色白の女性が多いことが理由としてあげられるが、日照時間が少ない日本海側には共通した環境で、秋田に限ったことではない。
 しかも「秋田美人」という風説が広まったのは明治以降らしい。秋田市街では1886年(明治19年)に大火があり、街のほとんどが焼けてしまった。この時、今も歓楽街で有名な川反(かわばた)に花街が移った。
 この新装なった川反に東京などから文人がやってきて「美人が多い」と評判になったらしい。谷崎潤一郎など「いずれも恋の奴のような」などとベタ褒めである。
 それが秋田県全体は美人が多いという話に変わっていく。だが花街が盛んな地に美人が多いというのはうなづける。博多も京も多くの美人が各地から集まったという。それが3大美人の実態だろう。

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          あきた舞妓劇場で披露される舞
 その風説を利用して秋田を盛り上げよう、という動きもある。名声を誇った川反芸者だったが時代の流れで衰退し、一人もいなくなってしまった。こ

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