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「国産マッチ発祥の地」

明治の一大輸出品となったマッチ

★ジャンル【産業】 
★場所 墨田区江東橋1-7-17
★最寄駅 JR、東京メトロ錦糸町駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
特になし

★解説
 錦糸町駅南口から京葉道路に出て日本橋方面に向かうと、左側に黒い鉄柵で囲われた都立両国高校敷地があります。郵便局を少し過ぎたあたり。正門は先を左に曲がったところにあるので注意して観察を。鉄柵の中に黒い碑が建っていますが、柵が邪魔でとても見にくいです。なんとかして欲しいです(笑)。写真は鉄柵内にカメラを突っ込んで撮ったものです。碑には当時のマッチ箱の印刷がデザインされています。ひょっとすると裏に碑文があるのかもしれませんが、校内に入らないといけないのでまだ確認していません。
 この連載をしていて思うのは、明治になって進められた日本の近代化について、学校では西郷がどうだ、大久保がどうだ、あるいは富国強兵殖産興業などという上っ面については学びますが、その詳細を見てみると、あらゆる事物について近代化、工業化、西洋化が進められ、無数の人々の奮闘があったということです。
 マッチなどとるに足らないもののように思えますが、それまで火打ち石などで苦労して火をつけていたのが圧倒的に楽になります。そして大事なのは、日本ではこれを国内生産しようと思う人がいたことです。残念ながら多くのアジア諸国ではそうはならなかった。他の近代科学技術製品もそうです。多くの国は、「ヨーロッパでいいものがあるから輸入すればいいじゃん」でおしまいです。しかし買えるのはお金持ち、大多数の庶民は買う余裕がないので生活は何も変わりません。
 日本では「輸入に頼っていては国の富が海外に流れるばかりだ」と多くの人が危機感を持ち、このマッチに限らず、洋靴リボン、帽子、バッジ鉛筆はさみ運動靴・・・とあらゆる身の回りの工業製品を国産化しようとしました。こうした名もなき人たちの努力でこそ、今の日本が成り立っていると思います。ただただ濡れてに泡の金儲けしか考えないだけでは没落が待っているだけです。まあもう没落しているという話もありますが。
 と前置きが長くなりました。国産マッチは1876年(明治9年)、金沢出身の清水誠(しみず まこと)が、ここに新燧社という会社と工場を建て、生産を開始したのが日本での発祥です。
 清水は金沢藩士の子で1846年生まれ。1869年に藩費でパリに留学し理工学を学び、廃藩置県後は官費留学生になりました。その最中パリで宮内次官吉井友実(よしい ともざね)と歓談中、「例えば卓上のこのマッチも日本は輸入に頼っている。日本で作れないだろうか」と言われ、マッチ製造を志すようになったと言います。前述のような問題意識が二人に見られますね。
 清水は1874年に帰国しますが、その際フランス政府から頼まれて日本で観

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