見出し画像

「靴業発祥の地」

知られざる明治の大企業家

★ジャンル【産業】
★場所 中央区入船3-2-10アーバンネット入船ビル(ITOKI)前
★最寄駅 東京メトロ有楽町線新富町駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「明治三年(一八七〇)三月十五日西村勝三が伊勢勝・造靴場を創建したのは旧築地入舟町五丁目一番のこの地であった 勝三は佐倉藩の開明進取の風土に育ち時の兵部大輔大村益次郎の勧めと 藩主堀田正倫並びに澁澤榮一の支援を得て靴工業を創成しこれを大成した 斯くてこの地は日本に於ける製靴産業の原点であるのでここに建碑事績を記す」

★解説
 新富町駅7番出口脇、ITOKI前の植え込みにあります。
 明治維新の近代化の時期には、それまで日本になかった様々なものが必要となりますが、それを「日本で作ろう!」と考える人たちが大勢現れ、大変な努力の末実現していきます。当たり前のように思いますが、そんな努力をせずに外国から買っておけばいいじゃない、という道もあったはずです。しかしそれは植民地国家への道でした。
 日本は古来、海外から新規なものをどんどん受け入れ、それを内製化していきます。コメ、茶、綿、麺類など食べ物から鉄砲などの武器、文化である仏教、漢字など、いずれもいい面、あるいは日本にあった面を受け入れて換骨奪胎してきました。靴もそうでした。
 と前置きが長くなりました。維新後、近代国軍の育成を急ピッチで進めていた大村益次郎(おおむら ますじろう)はある時困ってしまいました。兵士に支給しようと輸入した洋靴が、日本の兵士の足に全く合わなかったのです。ヨーロッパ人の足は幅が細く、日本人は甲が高く、靴のサイズで合わせるときつくて「窮屈足袋」などと呼ばれて嫌がられたのです。
 戦場で靴は大事です、場合によっては何日も脱がずに戦わなければならな

これより有料です。以下には記事全文のほか、地図、関連情報リンクなどがあります。ご購入いただく場合、この記事だけで100円お支払いいただくより、マガジン「東京23区発祥の地めぐり」全体を500円でお買い上げいただく方がお得かと思います。最終的に数百本近い記事をご覧になることができます。よろしくお願いします。

ここから先は

1,894字 / 3画像
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?